江古田氷川神社|牛頭天王社と称して創建、江古田村鎮守
江古田氷川神社の概要
江古田氷川神社は、中野区江古田にある氷川神社です。江古田氷川神社は、寛正元年(1460)の創祀と伝えられ、当初牛頭天王社と称していましたが、元禄9年(1696)氷川神社と改称したといい、当地江古田村の鎮守社だったといいます。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷神社、熊野八幡神社、北野天満社、霊神社 |
住所 | 中野区江古田3-13-6 |
備考 | 江古田村鎮守 |
江古田氷川神社の由緒
江古田氷川神社は、寛正元年(1460)の創祀と伝えられ、当初牛頭天王社と称していましたが、元禄9年(1696)氷川神社と改称したといい、当地江古田村の鎮守社だったといいます。
新編武蔵風土記稿による江古田氷川神社の由緒
(江古田村)氷川社
除地、三段七畝、西の方にあり、村の鎮守なり、社は五尺四方、上屋三間に二間南向にて、前に石の鳥居をたつ、松杉の森あり、鎮座の年代詳ならず、例祭は九月二十九日。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による江古田氷川神社の由緒
旧江古田東西(鷺宮境)十六町、南北八町全域の鎮守である。口碑によれば寛正元年(一四六〇)の創祀とされる。文明九年(一四七七)道灌と豊島氏が戦った古戦地である。牛頭天王さまと称したが、元禄九年(一六九六)氷川神社とする。弘化三年(一八四六)社殿を改築。現社殿および境内整備一新は数年がかり、昭和七年十月竣工した。大祭には毎年かかさず古式豊かにお練り行列(約二千名)をし、獅子舞の田楽舞の正しい舞法(約七〇〇年前)を伝え、郷土芸能とし、東京全土にならしている。(東京都神社名鑑より)
江古田氷川神社所蔵の文化財
- 氷川神社神楽殿
氷川神社神楽殿
神楽殿は、弘化四年(一八四七)に建立されたものです。昭和七年(一九三二)まで、本殿として使われていましたが、新しい社殿造営にあたり、現在地に移築しました。
昭和五十七年(一九八二)に茅葺きから現在の銅板に葺き替えられました。
桁間は、三間(五・五メートル)で、梁間が二間(三・六メートル)の寄棟造りです。正面に四枚立ての引違い戸が入っていますが、かつては、摺り上げ戸であったと思われます。屋根の勾配や全体のバランスが良く、区内に残されている数少ない江戸時代の建造物として代表的なものです。
内部は、床面が板張りで、天上は格天井になっています。この格天井には色彩豊かな花鳥画が描かれています。言い伝えによると、この地の名主、山崎家の離れ(茶室書院として現存)に絵師が滞在して花鳥画を仕上げたということです。(中野区教育委員会掲示より)
江古田氷川神社の周辺図