中野氷川神社|平安時代創建、中野村総鎮守
中野氷川神社の概要
中野氷川神社は、中野区東中野にある氷川神社です。中野氷川神社は、長元3年(1030)に武蔵一の宮である埼玉県大宮氷川神社から勧請して創建したものと伝えられ、旧中野村の総鎮守であったといいます。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 須佐之男命・稲田比売尊・大己貴尊 |
相殿 | - |
境内社 | 北野神社、御嶽神社、稲荷神社、塩竃神社 |
住所 | 中野区東中野1-11-1 |
備考 | 中野村鎮守 |
中野氷川神社の由緒
中野氷川神社は、長元3年(1030)に武蔵一の宮である埼玉県大宮氷川神社から勧請して創建したものと伝えられ、旧中野村の総鎮守であったといいます。
新編武蔵風土記稿による中野氷川神社の由緒
(中野村)氷川社
除地、一町二段八歩、村の中央よりは東南の方によりてあり、本社は一間に八尺、本地十一面観音の立像長一尺七寸五分なるを安ず、前立に素盞嗚尊・稲田姫・大己貴命の木像三軀を安す。各長一尺七寸二分、拝殿三間半に三間、鳥居二基あり、一基は木にて、一基は石なり、左右に松檜並びたてり、鎮座の年代詳ならず、正五九月廿七日神酒を供す、村内宝仙寺の持。(新編武蔵風土記稿より)
中野区教育委員会掲示による中野氷川神社の由緒
中野の氷川神社
この神社は、旧中野村の総鎮守社で、創建は長元三年(一〇三〇)に武蔵一の宮である埼玉県大宮市の氷川神社から勧請したものと伝えられています。室町時代の応永年間に社殿を改築した伝えもありますから、中野村の開発とともに鎮座も古いことがうかがわれます。
祭神は須佐之男命・稲田比売尊・大己貴尊の三柱で、例祭は九月十四・十五日ですが、もとは二十六・二十七日の両日でした。
江戸時代には総護摩行が行われ、湯立神楽をあげ、淀橋・上宿・下宿・西町・仲宿・打越・囲・原の氏子がそれぞれの地区の幟や提灯の美を競いました。豊年には、獅子舞・相撲・力石くらべなども行われて、近在をあげての盛大な行事になっていました。明治・大正期の巡行はいまも語り草になっています。
拝殿にある中世の石の狛犬をはじめ、境内には中野の歴史を語る多くの遺品があります。(中野区教育委員会掲示より)
東京都神社名鑑による中野氷川神社の由緒
当社は、旧中野村の総鎮守社で、創建は長元三年(一〇三〇)に源頼信が平忠常を征討のさい、武蔵一の宮の氷川神社の神霊を勧請したことによる。応永年間(一三九四-一四二八)、宝仙寺中興の僧聖永が改築し、文明九年(一四七七)には太田道港が練馬・石神井両城に豊島兄弟を攻略するにさいして戦勝を祈願し、凱陣の後、社殿を造営して報賽した。江戸時代には護摩修行が行なわれ、湯立神楽をあげ淀橋・上宿・下宿西町・仲宿・打越・原の氏子がそれぞれの地区の幟や提灯の美を競いあった。豊年には獅子舞・相撲・力石競べ等も行なわれて近在をあげての盛大な行事となっていた。明治・大正期の華麗な神輿や山車の巡行は今も語り草になっている。明治十年拝殿が同十五年本殿を改築し、昭和三年表参道を開き、神橋を架設する等境内を整備した。(東京都神社名鑑より)
中野氷川神社の周辺図