三谷稲荷社|三谷講により護持されている社
三谷稲荷社の概要
三谷稲荷社は、中野区野方にある稲荷社です。三谷稲荷社の創建年代は不詳ですが、江戸時代に創祀したのではないかといいます。江戸時代後期に編纂された新編武蔵風土記稿に記載されていませんが、下沼袋村に小名(小字)三谷があり、東京府豊多摩郡誌にも小字三谷が載せられていることから、三谷地区で祀られてきたものと考えられ、三谷講中により護持されて現在に至っているようです。
社号 | 三谷稲荷社 |
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祭神 | 宇迦之御魂神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 中野区野方2-27 |
備考 | - |
三谷稲荷社の由緒
三谷稲荷社の創建年代は不詳ですが、江戸時代に創祀したのではないかといいます。江戸時代後期に編纂された新編武蔵風土記稿に記載されていませんが、下沼袋村に小名(小字)三谷があり、東京府豊多摩郡誌にも小字三谷が載せられていることから、三谷地区で祀られてきたものと考えられ、三谷講中により護持されて現在に至っているようです。
新編武蔵風土記稿による三谷稲荷社の由緒
(下沼袋村)
小名
三谷。村の中を云(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による三谷稲荷社の由緒
三谷稲荷社の沿革
当社の創祀は不詳なれど江戸時代と推測され部落民の崇敬篤き社なりしと伝う。明治十二年二月初午よりの祭事は秋元久太郎秋元七五郎秋元藤吉秋元兼吉秋元イチ矢島吉五郎矢島金次郎行田徳蔵矢島政右エ門の九名より成る講中が失効せし事資料に依り明白なり。逐年の祭事は今なほ子孫が継続す。抑々稲荷社の御祭神は宇迦之御魂神と稱し五穀を司る神であり米食を主とする日本人が稲作の豊なるを祈願し農耕神として信仰したるが時代の推移と共に崇敬する者多くなり江戸時代に於ては商業神屋敷神として盛に勧請され農家のみの信仰対象に止まらず広範なる産業神として信仰されるに至れり。当社地内に古くより御神米として椿一株樹立致せしが昭和二十六年惜しくも枯損なし伐採せるも現今その後葉が芽を出したり、昭和四十年二月初午の日に現在の崇敬者講中赤心会議の末新社殿を奉納す
昭和四十年二月初午三谷講中(境内掲示より)
三谷稲荷社の周辺図