旧野方配水塔|中野区江古田の名所旧跡

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旧野方配水塔|江古田の水道タンク・みずの塔・貯水塔

旧野方配水塔の概要

旧野方配水塔は、中野区江古田にある名所旧跡で江古田公園内にあります。旧野方配水塔は、大正12年(1923)関東大震災後、急速に発展した東京近郊の水の需要に応えるため、豊多摩・北豊島両郡の13ヶ町が連合して荒玉水道を設立、荒玉水道の給水のために造られた配水塔です。設計は淀橋浄水場も手掛けた中島鋭治博士で、昭和4年に竣工、昭和41年まで使用され、平成22年に国文化財に登録され、保存されています。

旧野方配水塔
旧野方配水塔の概要
名称 旧野方配水塔
みどころ 国登録文化財
入場時間 -
入場料 無料
住所 中野区江古田1-3-1中野区立みずのとう公園
備考  




旧野方配水塔

旧野方配水塔は、大正12年(1923)関東大震災後、急速に発展した東京近郊の水の需要に応えるため、豊多摩・北豊島両郡の13ヶ町が連合して荒玉水道を設立、荒玉水道の給水のために造られた配水塔です。設計は淀橋浄水場も手掛けた中島鋭治博士で、昭和4年に竣工、昭和41年まで使用され、平成22年に国文化財に登録され、保存されています。

中野区教育委員会掲示による旧野方配水塔について

旧野方配水塔(国登録文化財)
野方配水塔は、荒玉水道の給水場につくられた塔でした。荒玉水道は大正十二年(一九二三)の関東大震災後、東京市に隣接した町村の急激な都市化による水の需要に応えるため、当時の豊多摩・北豊島両郡にある十三の町々が連合して設立しました。
配水塔は、ドイツで衛生工学を学び、淀橋浄水場をつくった「近代上水道の父」中島鋭治博士(一八五八~一九二五)の設計です。
着工は昭和二年(一九二七)で竣工は同四年です。高さは三三・六メートル、基部の直系役十八メートルの鉄筋コンクリート造りです。
世田谷区の喜多見で多摩川から引水し、六十万人の二時間分の貯水が可能といわれ、昭和四十一年(一九六六)まで使われていました。その後、解体計画もありましたが、平成二十二年(二〇一〇)に国登録文化財となり大切に保存されています。
ドーム型の屋根が、地域の特徴ある景観をかたちづくり、江古田の水道タンク・みずの塔・貯水塔などと親しまれてきた、東京近郊都市化のシンボルです。(中野区教育委員会掲示より)


旧野方配水塔の周辺図