野方のがんかけ地蔵尊|庚申塔・地蔵尊・二十三夜碑
野方のがんかけ地蔵尊の概要
野方のがんかけ地蔵尊は、中野区野方にある名所旧跡で路傍にあります。野方のがんかけ地蔵尊には、庚申塔・地蔵尊・二十三夜碑の三基が奉安されています。庚申塔は享保21年(1736)銘、地蔵尊は延享元年(1744)銘があり、二十三夜碑は昭和2年に建てられたといいます。
名称 | 野方のがんかけ地蔵尊 |
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みどころ | - |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 中野区野方3-7 |
備考 | - |
野方のがんかけ地蔵尊
野方のがんかけ地蔵尊には、庚申塔・地蔵尊・二十三夜碑の三基が奉安されています。庚申塔は享保21年(1736)銘、地蔵尊は延享元年(1744)銘があり、二十三夜碑は昭和2年に建てられたといいます。
中野区教育委員会掲示による野方のがんかけ地蔵尊について二十三夜の碑
庚申塔・地蔵尊・二十三夜碑
庚申塔には、太陽と月、青面金剛、三匹の猿、にわとりなどが彫られています。
この付近の人々三十一人が建立したもので、石の側面には享保二十一丙辰三月吉祥日(一七三六)と彫ってあります。台石には「右中村道 左さぎのみや道」と記され、道しるべの役をはたしていました。
地蔵尊は、延享元年(一七四四)九月建立されたもので、沼袋村の矢島亦右衛門のほかに、とめ、多よ、いちなど女性の名前が記されています。台石には、秩父、坂東、西国の観音霊場百ヶ所をめぐり、長寿福楽と来世での安穏を願った旨の文字が読みとれます。
二十三夜の碑は、昔このあたりで疫病がはやったことがあり、祈祷師から以前にこの地にあったはずの二十三夜塔を再建するようにとのお告げがあり、関係者八人によって昭和二年(一九二七)に建てられたものと伝えられています。(中野区教育委員会掲示より)
野方のがんかけ地蔵尊の周辺図