福王山慈眼寺|中野区中央にある真言宗豊山派寺院
慈眼寺の概要
真言宗豊山派寺院の慈眼寺は、福王山弥勒院と号します。慈眼寺は、天文13年(1544)の創建と伝えられています。江戸時代に、中野区中央3丁目7番付近から当地に移転しました。
山号 | 福王山 |
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院号 | 弥勒院 |
寺号 | 慈眼寺 |
住所 | 中野区中央3-33-3 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | 慈眼寺弥勒院 |
備考 | - |
慈眼寺の縁起
慈眼寺は、天文13年(1544)の創建と伝えられています。江戸時代に、中野区中央3丁目7番付近から当地に移転しました。
中野区教育委員会掲示による慈眼寺の縁起
慈眼寺は、真言宗豊山派の寺院で、福王山弥勒院と号し、天文13年(1544)の創建と伝えられています。以前は、現在地から北東の中央3丁目7番付近にありましたが、江戸時代にこの地に移転しました。(中野区教育委員会掲示より抜粋)
新編武蔵風土記稿による慈眼寺の縁起
慈眼寺
除地、6975坪。往還の内小名上宿にあり。福王山弥勒院と号す。新義真言宗にて村内宝仙寺末。
本堂は近き比雷火にて焼失せしゆへ、今は仮堂なり。本尊正観音木の坐像にて長1尺4寸。開山詳ならず。開基は天文13年といへば、古き寺なれども其詳なること傳へず。(新編武蔵風土記稿より抜粋)
慈眼寺所蔵の文化財
慈眼寺の石仏群
ここにある石仏は、馬頭観音や庚申塔などで、向かって左側の文化13年(1816)の馬頭観音は、頭上に馬頭をつけ、角柱部分は道しるべになっています。左あふめ道(青梅)、右いくさ道(井草)と記されていて、もとは青梅街道と石神井道とが分岐する追分の三叉路(中央4丁目)にありました。
庚申塔は干支の庚申に由来するもので、日月、青面金剛、邪鬼、三匹の猿、鶏などが彫られていあす。
ここには、元禄3年(1690)から寛保2年(1742)までのものが6基あります、このうち4基は、上宿(中央2丁目付近)、新町(本町6丁目)、西町(中央5丁目)の青梅街道の沿道にありましたが、道路拡張のため、桃園第三小学校の大ケヤキの根元に移設され、さらに、昭和30年(1955)に当寺院の境内に安置されたものです。(中野区教育委員会掲示より)
慈眼寺の周辺図