松吟山常昌院。中野区中央にある曹洞宗寺院
常昌院の概要
曹洞宗寺院の常昌院は、松吟山と号します。常昌院は、安心庵と号して文禄年間(1592-1596)に創建、二世恵海尼が当地に移転の上松吟庵と改称したといいます。昭和10年豊橋にあった常昌院の名跡を移し、松吟山常昌院と改めたといいます。
山号 | 松吟山 |
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院号 | 常昌院 |
寺号 | - |
住所 | 中野区中央2-53-1 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
常昌院の縁起
常昌院は、安心庵と号して文禄年間(1592-1596)に創建、二世恵海尼が当地に移転の上松吟庵と改称したといいます。昭和10年豊橋にあった常昌院の名跡を移し、松吟山常昌院と改めたといいます。
「中野区寺院案内」による常昌院の縁起
もと安心庵として、文録年間創立になる。天保年間、駒込高林寺徒弟・野村観了尼これを董ず。二世恵海尼により現在地に移り松吟庵と改称する。
昭和10年、遠州大洞院末寺・常昌院の寺号を豊橋より移し、本堂、庫裡が完成するが、昭和20年、第二次大戦の本土空襲にて焼失す。五世・秀明尼、仮本堂にて教化活動を続ける。特に曹洞宗梅花流(御詠歌)創立の中心的存在として、正伝師範・(最高指導者)となり活躍した。その活動は全国各地にまで及んだ。
教化活動の一方、堂宇の再建にも尽力きれたが、堂宇の完成を直前にして遷化される。
昭和48年4月、堂宇が完戒。落慶法要を厳修し、現在に至る。(「中野区寺院案内」より)
常昌院の周辺図
参考資料
- 「中野区寺院案内」(中野区佛教連合会)