東福寺|中野区江古田にある真言宗豊山派寺院

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金峯山東福寺|御府内八十八ヶ所、豊島八十八ヶ所

東福寺の概要

真言宗豊山派寺院の東福寺は、金峯山世尊院と号します。東福寺の創建年代は不詳ですが、天正年間(1573-1593)江古田村の村民が開基となり、村内御嶽山に創建したと伝えられ、後年当地へ移転したといいます。江戸時代には3代将軍家光が鷹狩りの際に休息し、8代将軍吉宗は御膳所に指定していました。また当寺の大師堂は、大久保二尊院に奉安されていたもので、二尊院の廃寺に際して当寺に移築、御府内八十八ヶ所霊場2番、豊島八十八ヶ所霊場2番札所となっています。

東福寺境内
東福寺の概要
山号 金峯山
院号 世尊院
寺号 東福寺
住所 中野区江古田3-9-15
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 東福寺別院江原観音堂
備考 金の峯幼稚園



東福寺の縁起

東福寺の創建年代は不詳ですが、天正年間(1573-1593)江古田村の村民が開基となり、村内御嶽山に創建したと伝えられ、後年当地へ移転したといいます。江戸時代には3代将軍家光が鷹狩りの際に休息し、8代将軍吉宗は御膳所に指定していました。また当寺の大師堂は、大久保二尊院に奉安されていたもので、二尊院の廃寺に際して当寺に遷したといいます。

「中野區史」による東福寺の縁起

江古田三丁目一二五八。金峯山世尊院と號する。本尊不動明王。立像長一尺二寸。舊は字御嶽山にあつたのを、某年現在の地に移した。開山は未詳、開基は村民次郎右衛門が先祖某で、天正年中の起立と傳へるけれども未だ詳でない。法流の祖は法運といひ、享保七年十一月五日示寂した。境内と墓地を合せて一五五〇坪。本堂の西に鐘樓があり、寶永七年在銘の鐘が掛けられてゐる。また本堂の左に大師堂があり、府内八十八箇所の第二番に當る。もと大久保の二尊院に在つたのを明治の初年當寺に遷したのである。
なほ當寺は、舊と氷川神社(現在村社、江古田三丁目一一五九鎮座)の別當であり、又江戸時代には将軍放鷹の際の御膳所であつた。(「中野區史」より)

新編武蔵風土記稿による東福寺の縁起

(江古田村)東福寺
除地五段。村の南の方鷺ノ宮村境にあり。金峯山世尊院と号す。新義真言宗にて中野村宝仙寺の末。此寺元は村内御嶽山の邊にありしを、年月詳ならず此処へ移したりと云。本堂は八間半に七間。本尊不動の立像長一尺二寸。開山詳ならず。法流の祖を法運と云。享保七年十一月五日示寂。開基は村民次郎右衛門が先祖にて、天正年中に起立といへど其詳なることを傳へず。
鐘楼。本堂の西にあり。鐘は宝永7年の銘を彫れり。(新編武蔵風土記稿より)


東福寺の周辺図