法光山久成寺|牛込弁天町に創建、明治44年当地へ移転
久成寺の概要
日蓮宗寺院の久成寺は、法光山と号します。久成寺は、大仙院日善上人(正保3年1646年寂)が開山となり慶長12年(1607)牛込弁天町に創建、明治44年当地へ移転したといいます。
山号 | 法光山 |
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院号 | - |
寺号 | 久成寺(くじょうじ) |
住所 | 中野区沼袋2-28-30 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
久成寺の縁起
久成寺は、大仙院日善上人(正保3年1646年寂)が開山となり慶長12年(1607)牛込弁天町に創建、明治44年当地へ移転したといいます。
「牛込區史」による久成寺の縁起
(七軒寺町)法光山久成寺、伊豆玉澤妙法花寺末
慶長十二年起立、開山大仙院日善、正保三年正月廿八日寂、中興示教院日利、延享二年五月廿四日寂、境内拝領地千五百坪。(「牛込區史」より)
「中野区寺院案内」による久成寺の縁起
本寺は慶長12年、大仙院日善上人が幕府より牛込弁天町に地を給せられて開基したもので、享保の頃は大変な隆盛をきわめていた。
嘉永には火災に遭い、また明治44年に現在地に移転の後、昭和20年の第二次大戦の空襲にも遭い、寺宝、寺什など多くのものを失つたが、住職の尽力で船守祖師像は焼失をまぬがれ現存している。
船守祖師像は、日蓮聖人が鎌倉幕府の命により、伊豆に流きれたとき、日蓮聖人を救いだし、その教化を受けて檀家となった船守弥三郎の請により、日蓮聖人の直門、日実が刻したと伝えられる像である。
戦後は、三十五世境観院日義上人により本堂、庫裡の再建がなり、現在に至っている。(「中野区寺院案内」より)
久成寺の周辺図
参考資料
- 「牛込區史」
- 「中野区寺院案内」(中野区佛教連合会)