東護山願正寺。徳川家康入国後に創建、明治43年当地へ移転
願正寺の概要
真宗大谷派寺院の願正寺は、東護山法樹院と号します。願正寺は、徳川家康の関東入国に従い江戸に来た法櫻院安養院了善師(元和3年1617年寂)が、外櫻田に地所を拝領して天正18年(1590)に創建、享保3年(1718)牛込原町へ移転、地中に積徳寺・専行寺の2ヶ寺を擁していたといいます。明治43年当地へ移転したといいます。
山号 | 東護山 |
---|---|
院号 | 法樹院 |
寺号 | 願正寺 |
住所 | 中野区上高田4-10-1 |
宗派 | 真宗大谷派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
願正寺の縁起
願正寺は、徳川家康の関東入国に従い江戸に来た法櫻院安養院了善師(元和3年1617年寂)が、外櫻田に地所を拝領して天正18年(1590)に創建、享保3年(1718)牛込原町へ移転、地中に積徳寺・専行寺の2ヶ寺を擁していたといいます。明治43年当地へ移転したといいます。
「牛込區史」による願正寺の縁起
東護山法樹院願正寺、東本願寺末
開基安養坊了善、初め三河長縄邊に草庵を結んでゐたが、天正十八年家康入國の際江戸に移り、外櫻田に一萬坪の地を得て當寺建立、京都本山の江戸掛所となつた。後番町邊で千坪餘の地を得て隠居屋敷となし、東護山願正寺と號したが、享保三年元地用地に差上げ、原町に移つた。開基法櫻院安養院了善師、元和三年二月十六日寂。中興開基了圓律師、元文三年正月十日寂。舊境内拝領地九百九十坪餘、持添地六百六十坪餘。(「牛込區史」より)
願正寺所蔵の文化財
- 新見豊前守正興の墓所(東京都指定旧跡)
新見豊前守正興の墓所
新見豊前守正興は、遣米使節の重責をはたした人です。
安政六年(一八五九)外国奉行に抜てきされ、さきに締結された日米修好通称条約の批准書交換のため、特派使節になりました。
万延元年(一八六〇)アメリカ船ポーハタン号に乗り、咸臨丸とともに品川を出港。ワシントンでアメリカ大統領に会見して大任を無事にはたし、大西洋経由で帰国しましたが、国内の情勢が急変し攘夷論が盛んななかで、正興は外国での見聞を生かす機会もなく、元治元年(一八六四)職を免ぜられました。
明治二年、四十八歳で病没し、牛込原町(新宿区)に葬られましたが、その墓は大正の初め寺とともに現在地に移転しました。
大正七年、モーリス、アメリカ全権大使が、また昭和三十五年には、駐日大使ダグラス・マッカーサー二世が墓を訪れ花を捧げました。(中野区教育委員会掲示より)
願正寺の周辺図
参考資料
- 牛込區史