上尾下町愛宕神社。上尾市愛宕の神社
上尾下町愛宕神社の概要
上尾下町愛宕神社は、上尾市愛宕にある神社です。上尾下町愛宕神社の創建年代等は不詳ながら、新編武蔵風土記稿に「愛宕社、村民の持」と記載され、江戸期には上尾宿下宿に祀られていたことがわかります。明治40年頃の神社合祀に際して、上尾下町(旧下宿)の町民が合祀に反対し、明治42年当地へ遷し、町名を下町から愛宕町へ変更したといいます。
社号 | 愛宕神社 |
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祭神 | 伊邪那美命、外二十柱 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 上尾市愛宕1-18 |
備考 | - |
上尾下町愛宕神社の由緒
上尾下町愛宕神社の創建年代等は不詳ながら、新編武蔵風土記稿に「愛宕社、村民の持」と記載され、江戸期には上尾宿下宿に祀られていたことがわかります。明治40年頃の神社合祀に際して、上尾下町(旧下宿)の町民が合祀に反対し、明治42年当地へ遷し、町名を下町から愛宕町へ変更したといいます。
新編武蔵風土記稿による上尾下町愛宕神社の由緒
(上尾宿)
愛宕社
村民の持。(新編武蔵風土記稿より)
「上尾の神社・寺院」による上尾下町愛宕神社の由緒
記載なし。(「上尾の神社・寺院」より)
「埼玉の神社」による上尾下町愛宕神社の由緒
記載なし(「埼玉の神社」より)
愛宕町内会掲示による上尾下町愛宕神社の由緒
愛宕神社御由緒
当所の愛宕神社はその昔、現在の上尾運動公園北門の西方二、三〇〇米先(現在の愛宕二丁目)の所に本殿があって、周辺一面はうっそうした広い愛宕山で、その南側が甚兵衛山、北側に山王山で日の詰神社の山林もあったと古老の言伝えにあります。明治初年に神仏分離令の発布があり、その後分離、廃合、合祀などが行われ、愛宕神社も他に合祀されることになりましたが、下町町民(当時の戸数五~六十軒)がこれを拒み、旧原市新道、南角の所を借り受け、ここに一時お祀りしました。
その後、明治四十二年七月二十日に現在のこの所に再び神社をお遷しして明治四十二年七月二十四日に大祭を行い、その日から下町を愛宕町と改名することになりました。
昔、愛宕神社の本社が鎮座せられたのは、今から一、二五〇数年前、和気清麿公が勅を奉じて王城の火災防火、開運勝利、諸病厄除等、鎮護祈願の神として、山城と丹波の国境旭ヶ峯の頂上(今は京都市)にお祀りしたのが始まりであると言伝えられております。
ご神体は勝軍地蔵菩薩様で、本殿に伊邪那美命、外二十柱の神様をお祀りしてあります。現在全国に愛宕神社は八百余 分社があり、その内本県に三十数社(神社庁調べ)あります。これ等の分社はおおかた大同元年(八〇六)および仁寿三年(八五三)頃全国にわたり、とりわけ関東・武蔵の国に非常に火災と悪病が流行した時に当地にも分社鎮座がおこなわれたと考えられます。当社は古くから火防、諸病厄除、無病息災、開運等にご利益があると言われ参拝者が絶えません。(愛宕町内会掲示より)
上尾下町愛宕神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「上尾の神社・寺院」(上尾市教育委員会)
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)