西宮下天神社。上尾市西宮下の神社
西宮下天神社の概要
西宮下天神社は、上尾市西宮下にある神社です。西宮下天神社の創建年代等は不詳ながら、近郷総鎮守として祀られた氷川神社が当地にあったことから宮下村の村名が起ったといい、古くより開けた地だといいます。天神社は江戸期には宮下村の鎮守社として祀られ、明治6年には村社に列格していました。
社号 | 天神社 |
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祭神 | 菅原道真朝臣 |
相殿 | - |
境内社 | 浅間神社、琴平社、稲荷社、八雲社、雷電社 |
祭日 | 10月15日 |
住所 | 上尾市西宮下1-225 |
備考 | - |
西宮下天神社の由緒
西宮下天神社の創建年代等は不詳ながら、近郷総鎮守として祀られた氷川神社が当地にあったことから宮下村の村名が起ったといい、古くより開けた地だといいます。天神社は江戸期には宮下村の鎮守社として祀られ、明治6年には村社に列格していました。
新編武蔵風土記稿による西宮下天神社の由緒
(宮下村)
天神社
村民の持(新編武蔵風土記稿より)
「上尾の神社・寺院」による西宮下天神社の由緒
「武蔵国郡村誌」によると、「宮下の地名は今谷津村の氷川社もと当村の持にして近村の総鎮守なれば、其宮ありしを以て名とせり」と誌している。当天神社との関係は不明。(明治6年村社に列せられたというのみ、あとは不明)昭和39年、県道改良工事で境内地を東西に貫通することになり、社殿等一切の造営物を北側社有地に遷した。(「上尾の神社・寺院」より)
「埼玉の神社」による西宮下天神社の由緒
天神社<上尾市西宮下一-二二五(西宮下字東)>
『風土記稿』によれば、宮下の地名は、江戸期まで当村を含む五か村の鎮守であった谷津村の氷川神社が、もと当村に鎮座していたことによるという。ただし、この氷川神社が谷津村に移転した理由については明らかではない。
当社は旧宮下村の中央にある高台に鎮座している。古老によれば、かつて、この高台には梅や松が生い茂り、木々の枝に子供たちが書き初めの作品を下げたり、花の季節には、大勢の人々が花見に訪れるなど、地元の人々の憩いの場所であった。また、高台の北端からは清水が湧き出し、小川となって、西に三〇〇メートルほど離れた鴨川に注いでいた。この清水は、当地の人々に、農業用水や生活用水として用いられたという。
当社の創建については不詳で、『風土記稿』には「天神社 村民の持」とある。古い天神信仰には、雨をもたらす雷神としての信仰があり、当地の人々が水の恵みに期待して水源である高台に当社を祀ったことは想像に難くない。
当社は明治六年四月に村社に列した。昭和十六年に太平洋戦争が始まると、高台の東半分が軍需工場建設のため買収され、多くの木々が伐採された。そのため高台の景観は一変し、北端から湧き出していた清水も枯渇してしまった。(「埼玉の神社」より)
西宮下天神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「上尾の神社・寺院」(上尾市教育委員会)
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)