内間木神社。朝霞市上内間木の神社

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内間木神社。内間木村の分村に際して重殿権現社として創建

内間木神社の概要

内間木神社は、朝霞市上内間木にある神社です。内間木神社の創建年代は不詳ですが、内間木村が上下に分村した元禄年間(1688-1704)以降に、本村(下内間木)の蔵王権現社を分祀して重殿権現社として創建したのではないかといいます。明治6年村社に列格、上内間木字屋敷添の稲荷社と字厩尻の厳島社を明治40年境内社として合祀しています。

内間木神社
内間木神社の概要
社号 内間木神社
祭神 日本武尊
相殿 -
境内社 厳島神社、稲荷神社
祭日 -
住所 朝霞市上内間木443
備考 -



内間木神社の由緒

内間木神社の創建年代は不詳ですが、内間木村が上下に分村した元禄年間(1688-1704)以降に、本村(下内間木)の蔵王権現社を分祀して重殿権現社として創建したのではないかといいます。明治6年村社に列格、上内間木字屋敷添の稲荷社と字厩尻の厳島社を明治40年境内社として合祀しています。

新編武蔵風土記稿による内間木神社の由緒

(上内間木村)重殿権現社
村内西の方にあり、社は二間に三間、鎮座の年代詳ならず、社頭に古松あり、村持。(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による内間木神社の由緒

当社は古来重殿権現社と呼ばれてきたが、創立年代は不詳。明治六年四月村社として内間木神社と改称。
明治四十年には、上内間木字屋敷添の稲荷社と字厩尻の厳島社を境内社として合祀。
現在の社殿は、昭和五十七年に旧社殿が昭和五十四年十月十九日の台風二十号により倒壊したため、建替えられた。旧社殿には、現在朝霞市の文化財に指定されている大絵馬が天井に所狭しと飾られていた。大絵馬は現在朝霞市の博物館に保管されている。
小字が松ノ木の由来は境内に千年を越す大きな松の木が昭和二十五年頃までそびえていた所から名付けられた。(境内掲示より)

「埼玉の神社」による内間木神社の由緒

上内間木は、荒川と新河岸川に挟まれた島状の低湿地帯で、河川の氾濫により度々被害を受けた。天正十九年(一五九一)五月に旗本加藤源四郎は「内間木之村」一七石などを宛行われている。元禄期(一六八八-一七〇四)以降、新田開発が進み、本村の下内間木村と新開発の上内間木村に分かれ、宝永四年(一七〇七)に下内間木村として検地がなされた。
『風土記稿』下内間木村の項には「蔵王権現社」が見える。一方、上内間木村の項に当社は「重殿権現社、村内西の方にあり、社は二間に三間、鎮座の年代詳ならず、社頭に古松あり、村持」と載り、更に後の『郡村誌』には「昔時蔵王大権現と称せり、維新の際より今の名(内間木神社)、と唱ふと云ふ」とあり、重殿の社名は蔵王の転靴したものであることをうかがわせる。
これらのことを勘案するに、元禄期以降に新田開発が進められる中で、本村に既に鏡座していた蔵王権現社から分霊を遷し祀ったものであろう。蔵王権現は修験道における主尊とされることから、勧請の背景には修験の活動があったと考えられる。
明治初年に社名を改めて村社となり、明治四十年には字屋敷添の稲荷社と字厩尻の厳島社の無格社二社が合祀された。(「埼玉の神社」より)


内間木神社所蔵の文化財

  • 内間木神社の大絵馬(朝霞市指定文化財)

内間木神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)