日英寺別院。朝霞市根岸台にある日蓮宗寺院
日英寺別院の概要
日蓮宗寺院の日英寺別院は、市川市本覚山日英寺の別院です。日英寺別院は、中山法華経寺や日英寺で研鑽を積んだ野本弁雄氏が開基となり、昭和54年に日蓮宗日英寺の別院という形で宗教法人登記したといいます。
山号 | 本覚山 |
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院号 | - |
寺号 | 日英寺 |
本尊 | - |
住所 | 朝霞市根岸台5-10-8 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
日英寺別院の縁起
日英寺別院は、中山法華経寺や日英寺で研鑽を積んだ野本弁雄氏が開基となり、昭和54年に日蓮宗日英寺の別院という形で宗教法人登記したといいます。
「朝霞市史」による日英寺別院の縁起
日英寺別院
根岸台地区にある日英寺別院を興したのは、野本弁雄氏(故)である。野本弁雄氏は、明治四十一年、同地区の農家の末っ子として生まれた。弁雄氏の父親は御嶽山の先達で、行者であった。それで色々な人のお祓いをしてあげたりしていたが、それがもとで他人の「罪障」(罪業・因縁のこと)やしがらみまでしょいこんでしまい、一時、家が傾いてしまったといわれている。弁雄氏が小さい時にすでに父親は亡くなっていたが、父親のこうした能力を最も強く受け継ぎ、子どもの頃から、夢の中で他人の怪我を予言することができたという。しかし、当時はこうした行状が周囲に理解されず、気持ち悪がられたりして苦労したそうである。青年時代は、東京の饅頭屋に奉公に出た。奉公しながら千葉県の中山法華経寺などに日参し、現在の日英寺住職と親しくなったのもこの頃である。(中略)同別院は、昭和五十四年に千葉の日蓮宗、日英寺の別院という形で宗教法人として登録した。そして、信者の寄付を以て土地も買い求め、本堂を立てることができた。(「朝霞市史」より)
日英寺別院の周辺図
参考資料
- 「朝霞市史」