寳聚山西福寺。朝霞市下内間木にある真言宗智山派寺院
西福寺の概要
真言宗智山派寺院の西福寺は、寳聚山と号します。西福寺は、権大僧都香泉(寛永20年1643年或は寛永7年1630年寂)が開山となり創建、法印祐賢(明和9年1772年寂)が法流開基だといいます。
山号 | 寳聚山 |
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院号 | - |
寺号 | 西福寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 朝霞市下内間木1639 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
西福寺の縁起
西福寺は、権大僧都香泉(寛永20年1643年或は寛永7年1630年寂)が開山となり創建、法印祐賢(明和9年1772年寂)が法流開基だといいます。
新編武蔵風土記稿による西福寺の縁起
(下内間木村)西福寺
字西口にあり、真言宗新義、足立郡内谷村一乗院末、寳聚山と號す、客殿六間に五間半、本尊阿弥陀如来を安安置す、開山は権大僧都香泉と云、此人は寛永二十年三月二十四日示寂す、法流開基は法印祐賢なり、これは近来の人にて明和九年二月十五日寂すといふ。(新編武蔵風土記稿より)
「朝霞市史」による西福寺の縁起
下内間木地区・西福寺(観音堂)
宝聚山西福寺といい、宗旨は真言宗智山派で、もとより浦和市にある一乗院の管轄下におかれている。開山は寛永七(一六三〇)年に寂した権大僧都香奈とされ、法流の開基は明和九(一七七二)年に寂した法印祐賢とされている。本尊は、『風土記稿』によれば阿弥陀如来とあるが、『明細張』には釈迦如来との記載がある。この異同については、残念ながらよくわからない。ただ、いずれにしても、現状として当所は観音堂と別称されているように、今は観世音菩薩を本尊としている。また、常住による寺院形態を保っているわけではない。この経緯に関しては、かつては氷川神社と並んで建っていたのが荒川の氾濫により倒壊し、流され、そのため廃寺となって、もともとあった観音堂へ仏具等を移しかえたため、併称されるようになったということである。以来、堂は観音堂、敷地名義は西福寺として申請し続けている。この具体的な年代は明瞭でないが、おそらく近世末ないしは近代初期のことと想定され、先の本尊の異同とあいまって、当所はこれまでいくどかの変遷を経てきたことが窺える。(「朝霞市史」より)
西福寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「朝霞市史」