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猪鼻熊野神社。秩父市荒川白久の神社、甘酒まつり

猪鼻熊野神社の概要

猪鼻熊野神社は、秩父市荒川白久にある神社です。猪鼻熊野神社は、日本武尊が東征の際(景行天皇41年か)に当地で大猪を退治、里人が悦び濁り酒で歓待、日本武尊も矢を奉納して伊弉諾命・伊弉冉命を祀ったと伝えられます。天平8年(736)に疱瘡が流行、葛城連好久が三峰山に登山した際にも当社に立寄られたことから、疫病退治に甘酒祭りを行うようになったといい、現在は埼玉県無形文化財に選択されています。

猪鼻熊野神社
猪鼻熊野神社の概要
社号 熊野神社
祭神 伊弉諾尊、伊弉冉尊
相殿 -
境内社 三峰・八坂・稲荷・天神
祭日 元旦・節分・春祭・夏祭・秋祭
住所 秩父市荒川白久1785
備考 -



猪鼻熊野神社の由緒

猪鼻熊野神社は、日本武尊が東征の際(景行天皇41年か)に当地で大猪を退治、里人が悦び濁り酒で歓待、日本武尊も矢を奉納して伊弉諾命・伊弉冉命を祀ったと伝えられます。天平8年(736)に疱瘡が流行、葛城連好久が三峰山に登山した際にも当社に立寄られたことから、疫病退治に甘酒祭りを行うようになったといいます。江戸期に編纂された新編武蔵風土記稿には、牧洞院の境内社として記載され、諏訪社・八幡社と共に猪鼻地区の鎮守社として祀られていました。

新編武蔵風土記稿による猪鼻熊野神社の由緒

(白久村之内猪鼻)
牧洞院
神樂山と號す、曹洞宗にて小鹿野村鳳林寺持なり、除地五畝二歩、本尊釋迦を安ず、開山萬谷寛文九年寂、月日詳ならず、
熊野社。例祭六月廿八日村の鎮守なり(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による猪鼻熊野神社の由緒

熊野神社<荒川村白久一七八七(白久字沢戸)>
氏子の小林家所蔵、享保一五年『熊野大神縁起』によると、景行天皇の代、日本武尊と三峰登山の道筋に猪が現れ、尊の軍のみしるしに牙をかけ走りぬけていった。ために、尊は大いに怒り自ら矢を放ち、これを射殺される。ところがこれが、猪ではなくごろ里人を苦しめていた賊であったため、里人は喜び、尊の徳を称え濁酒を醸してこれを献じた。また、尊も里人の素朴な心を愛で、賊を討てたのは神の加護によるものとして、ここに伊弉諾命・伊弉冉命を祀り熊野大神と崇め、矢を奉納される。下って天平八年、国中に疱瘡が流行し、この平癒を祈願する奉幣使として、葛城連好久が三峰山に登山したが、この時当社にも立ち寄って祈願があり、以来、好久参拝の故事により、後世、疫病流しの甘酒祭りを行うと定めた。
また、口碑によりと、当社は「上サ」の屋号を持つ小林家の氏神が、いつのころか村持ちになったものとも伝えている。
いずれにしても、三峰詣の登拝順路にあたる当地は、三峰山の信仰と関連するところが多い。なお、この登拝路は、紀州熊野詣の形に類似しているともいわれ、彼地九十九王子に、猪鼻王子が現在でも残っている。これらを考えると、当社の勧請も三峰山にかかわる熊野修験の活動によると思われる。(「埼玉の神社」より)


猪鼻熊野神社所蔵の文化財

  • 甘酒まつり(埼玉県選択無形文化財)

甘酒まつり

猪鼻熊野神社縁起によれば、日本武尊が東征の際に当地で大猪を退治し、尊もこのことを神の加護と思し召し、当地に熊野神社を祀り矢を奉納した。また里人も尊の徳に感激して濁酒を差しあげ、その労をねぎらったという。
天平八年(七三六)疱瘡が流行った際、尊に濁酒を捧げた故事に因み、甘酒まつり疫病流しの祭事が始まったといわれる。
七月の第四日曜日の大祭当日、夜を徹してカツコミ番が造った甘酒の大樽が境内中央に置かれる。続いて午後一時祭典終了後広場での祈願が済むといよいよ甘酒まつりの始まりである。
樽番の制止にもかかわらず、あちこちで小桶に汲まれた甘酒のかけあいが始まる。そうなると裸になっている者には誰かまわずかけあい、境内には甘酒のしぶきが飛び散り、叫びや笑いが一緒になって興奮のるつぼと化す。
甘酒がなくなると今度は樽をころがしたり、かついだり、最後には樽を池に放り込み、余勢をかって区の役員も池に放り込んで祭りの成功を祝い合う。(秩父市教育委員会掲示より)

猪鼻熊野神社の周辺図