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身扶稲荷神社。秩父市中宮地町の神社

身扶稲荷神社の概要

身扶稲荷神社は、秩父市中宮地町にある神社です。身扶稲荷神社は、鉢形城主北条氏邦の家臣浅見源五郎が、小田原北条の役の後に当地に定住、浅見家の守護神として創建、浅見稲荷・腰田稲荷と称していたといいます。明治時代中期に浅見家から地元有志に移管され、祀ってきたといいます。

身扶稲荷神社
身扶稲荷神社の概要
社号 身扶稲荷神社
祭神 -
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 秩父市中宮地町41
備考 非法人



身扶稲荷神社の由緒

身扶稲荷神社は、鉢形城主北条氏邦の家臣浅見源五郎が、小田原北条の役の後に当地に定住、浅見家の守護神として創建、浅見稲荷・腰田稲荷と称していたといいます。明治時代中期に浅見家から地元有志に移管され、祀ってきたといいます。

新編武蔵風土記稿による身扶稲荷神社の由緒

(中宮地町村)
稲荷社に関する記載なし(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による身扶稲荷神社の由緒

掲載なし(「埼玉の神社」より)

境内石碑による身扶稲荷神社の由緒

宮地身扶稲荷大明神は、四百有余年の昔、当宮地村に住した鉢形城主北条氏邦の家臣、浅見源五郎を祖とする。浅見家の守護神としてこの地に鎮座し、その名を浅見稲荷又は腰田稲荷と称し、江戸中期宝暦、天明年間より近隣の人々の崇敬を集めてきた。くだって浅見数五郎の代、明治中期に当地の今井長四郎に、みやしろ並びに祭事一切が移管され、更に大正九年、当地の斎藤清作以下六十六名の有志に移管の変遷を経て、この人々とその子孫がこれを受継いできた。昭和十六年大東亜戦争勃発に伴い戦勝祈願、武運長久、家内安全等御神徳に肖らんとする人々の信仰心はとみに高まり、爾来地元隣組の人々の奉仕で、年々歳々盛大な祭祀が営まれるに至った。
たまたま昭和五十三年春、名称を宮地身扶稲荷大明神と改めたのを機に、老朽化した上屋と参集所修新築の機運が盛上り関係者一同の総意により山崎睦を長とする建設委員会を設立し、崇敬社各位から貴重なる浄財の御寄進を仰ぎ、この大事業着工の運びに至る。折しも浅見数五郎の曾孫、誠一が祖父(宮匠)宗五郎の代より建築を業としている事もあって上屋御奉納の申出あり、同氏に設計施工を委嘱、從来の上屋を社殿形式に変更し、ここに着工以来五年の歳月と多大なる浄財を費して、二軒、出三斗組、縋破風向拝付の荘厳なる社殿を参集所の竣工並びに神域の整備を完成し社頭の尊厳を一新するに至った。ここに畢世の事業完成を機に記念碑を建立し、御賛助、御奉納者の御芳名を別彫し後世に伝えるものとする。(境内石碑より)


身扶稲荷神社の周辺図