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竃三柱神社。秩父市大滝の神社、銭神様

竃三柱神社の概要

竃三柱神社は、秩父市大滝にある神社です。竃三柱神社は、三宝荒神社と称して弘仁年間の創建と伝えられ、大日向山太陽寺境内に鎮座していました。明治維新の神仏分離に伴い、大日向山太陽寺の隣地に遷座し竃三柱神社と改称、大滝村の村社となりましたが、妙法ケ岳の山中で、参拝には不便なことから、和田神社の鎮座していた当地に遷座しています。

竃三柱神社
竃三柱神社の概要
社号 竃三柱神社
祭神 火産霊神、奥津比古、奥津比売
相殿 少彦名命(和田神社)
境内社 稲荷神社、熊野神社、産泰神社、諏訪神社
祭日 1月1日元旦祭 春 例祭5月8日、12月8日新嘗祭、旧暦6月24日和田神社例祭
住所 秩父市大滝696
備考 -



竃三柱神社の由緒

竃三柱神社は、三宝荒神社と称して弘仁年間の創建と伝えられ、大日向山太陽寺境内に鎮座、奥津比古神、奥津比売神、火産霊神を祀ってきたといいます。明治維新の神仏分離に伴い、大日向山太陽寺の隣地に遷座し竃三柱神社と改称、大滝村の村社となりましたが、妙法ケ岳の山中で、参拝には不便なことから、和田神社の鎮座していた当地に遷座しています。和田神社は、明治維新前までは妙見社と称し、大滝村字大輪の鎮守で、明治41年に竃三柱神社されました。

新編武蔵風土記稿による竃三柱神社の由緒

(新大瀧村大陽寺項)
該当(三宝荒神社)記載なし
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(古大瀧村)
妙見社
大達原組の内大輪にあり、村民持にて、其所の鎮守なり、例祭六月廿四日、棟札の文曰、武州秩父郡大瀧谷大輪村大檀那造營中閑三郎左衛門代官砌、天正七年二月八日綱廣小檀那・枝太郎・左衛門及び外六人の姓名を記せり、
毘沙門社。八幡社(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による竃三柱神社の由緒

ご祭神は奥津比古神、奥津比売神、火産霊神の三柱で、古くは大皿川の大陽寺に隣接してまつられていたが余りにも山奥のため多勢の参拝に不便ということから、風雲等を告げる昭和十六年現在地に遷座(おうつし)した。
ご祭神に三柱とも火の守り神で家庭内の守護神として講組織もあり、村中の信仰を集めている。
元村社、大滝村の総鎮守で例祭は五月八日、村の鎮守の神さまの今日はめでたいお祭り日と多勢の参拝で終日賑わう。(竃三柱神社掲示より)

「埼玉の神社」による竃三柱神社の由緒

竃三柱神社<大滝村大滝六九六(大滝字大血川)>
当社の鎮座する大滝村は、県の西端に位置し、二〇〇〇メートル級の山々がそびえる秩父多摩国立公園の中にあり、その地名は、村内に源を発する荒川の奔流が大滝のごとく見えたことによると伝えられている。
元来、当社は三宝荒神社と称し、弘仁年間の創建と伝えられ、東国女人高野として信仰を集めている臨済宗大日向山太陽寺の境内に古くから祀られていた社であった。それが、維新後、神仏分離により、竃三柱神社と改称の上、同寺に隣接した村の共有地へ移され、大滝村の村社となった。時に、明治二年のことである。
しかし、鎮座地は大血川の上流、妙法ケ岳の山中で、参拝には不便であるとの理由から、昭和一六年に、現在の鎮座地である字大輪の和田神社の旧境内地へ移され、今日に至っている。
和田神社は、古くは妙見社と称し、大輪の鎮守として奉斎されてきた社であったが、明治四一年に当社に合祀され、遥拝所となっていたもので、当社遷宮に当たっては拝殿の増築や境内の整備がなされた。
祭神は、火産霊神・奥津比古紙・奥津比賣神の火神三神に和田神社の祭神であった少彦名命を加えた四柱である。これらの神々を祀る本殿は一間社流造りで各部に彫刻が施された立派なものである。また、内陣には、天正七年・寛文三年・文政一三年の三枚の棟札が納めらており、造営年代のほか、往時の信仰を知る手がかりとなっている。(「埼玉の神社」より)


竃三柱神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」