大渕寺。秩父市上影森にある曹洞宗寺院
大渕寺の概要
曹洞宗寺院の大渕寺は、龍河山と号し、秩父三十四ヶ所札所の第27番観音で著名です。大渕寺の創建年代等は不詳ながら、僧宝明が当地に草庵を営んでいたところ、足の病に罹り、行住坐臥して念誦するのみとなっていたところ、当地を訪れた弘法大師が不憫に思い、自刻の観音像を僧宝明に与えたといいます。僧宝明はこの像を本尊として当寺を創建したといいます。その後、吉田村清泉寺6世賢道(元和2年1616年寂)が、開山したといいます。
山号 | 龍河山 |
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院号 | - |
寺号 | 大渕寺 |
住所 | 秩父市上影森411 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
大渕寺の縁起
大渕寺の創建年代等は不詳ながら、僧宝明が当地に草庵を営んでいたところ、足の病に罹り、行住坐臥して念誦するのみとなっていたところ、当地を訪れた弘法大師が不憫に思い、自刻の観音像を僧宝明に与えたといいます。僧宝明はこの像を本尊として当寺を創建したといいます。その後、吉田村清泉寺6世賢道(元和2年1616年寂)が、開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による大渕寺の縁起
(上影森村)
廿七番観音
秩父卅四番札所の内なり、堂は南向三間四面、本尊正観音長一尺、後光佛に卅三體の観音の尊像あり、弘法大師の作【圓通傳】に夜に、此観音の別當寺の始祖、寶明が寄寓の草庵に、弘法大師の宿りて、靈像を彫刻したまひ、且佛説感應の奇説ありしは、殊さら靈驗著ぢるき舊跡の道場なり、その説の長ければここに略せり、大師の詠歌に曰、夏山やしげきか下の露までも、心へだてぬ月の影もり、
別當大淵寺
龍河山と號す、曹洞宗、下吉田村清泉寺末除地一段四畝廿歩、前に載する寶明を始祖とす、それより後年代久遠にして、その廢興詳ならず、元和二年七月十七日に寂する賢道と云ヘるは、本山六世の僧なるよし、是を開山といへども、中興なるべし、本堂西向七間に八間半本尊釋迦、脇士文殊・普賢を安ず、観音の堂は寺後の山腹にあり、(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による大渕寺の縁起
市指定史跡札所二十七番
龍河山大渕寺
この札所は、明治・大正と二度にわたる大火で堂宇をすべて消失しました。その後、本堂観音堂を兼ねた仮堂として再建されていたが、平成七年裏山を切開き、三間四面、宝形屋根の観音堂が再建されました。
本尊は聖観世音です。門前には市指定史跡影森用水路跡もみられます。
その昔行脚の僧宝明、諸国をめぐり、この地に霊境の多いにうたれ、春秋七年を過ごし思わぬ足の病となり行住坐臥して念誦するのみとなりました。弘法大師はこの地に至りてこれを愍たみ一体の観音を刻みて与えました。
宝明は悦び吾一人拝するはもったいなしと里人に与え一宇の堂を建て本尊をまつり、宝明を第一祖にしたという縁起があります。
昭和40年1月25日 秩父市教育委員会指定(境内掲示より)
大渕寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿