南石山常楽寺。秩父三十四ヶ所札所
常楽寺の概要
臨済宗南禅寺派寺院の常楽寺は、南石山と号し、秩父三十四ヶ所札所の第11番観音で著名です。常楽寺の創建年代等は不詳ながら、宗海(寛永20年1643年寂)が中興開山、元文年間(1736-1741)に当地へ移転、観音堂、仁王門庫裡を備えた天台宗寺院といいます。明治11年秩父大火で類焼、曹洞宗に改めています。
山号 | 南石山 |
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院号 | - |
寺号 | 常楽寺 |
住所 | 秩父市熊木町2-12-25 |
宗派 | 臨済宗南禅寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
常楽寺の縁起
常楽寺の創建年代等は不詳ながら、宗海(寛永20年1643年寂)が中興開山、元文年間(1736-1741)に当地へ移転、観音堂、仁王門庫裡を備えた天台宗寺院といいます。明治11年秩父大火で類焼、曹洞宗に改めています。
新編武蔵風土記稿による常楽寺の縁起
(大宮郷)十一番觀音
秩父卅四番札所の内なり、坂水にあり、堂は南向三間四面、観音木立像長三尺一寸五分、行基の作、此佛刹は行基菩薩州郡を巡行し、道橋を造營し玉ふ折から、此地に草盧を結び寓居せし時、或夜十一面観音の巖上に現じたまふを伏し拝み、不思議の観應舞踏の餘り、牢爾に模刻し、壇を設けて安置すと云、彼影向の巖、今現に當山の頂にあり、當山巡禮の詠歌に曰、罪告もきへよと祈る坂水、朝日はさゝで夕日輝く、前立の観音二尺三寸四分、弘法大師の作、左右に四天の木立像あり、長五尺二寸五分、又自然石の観音長六寸、厨子入あり、堂の前に元三大師の堂あり、境内盗難には林丘ありて、杉松暢茂し、西北は頗るひらけて、攅峯四方につらなり、殊勝の景趣なり、
別當常楽寺
南石山と號す、天台宗、上吾野郷天龍寺末なり、除地一段一畝廿一歩、開山實門寂年を傳へず、中興開山宗海寛永廿年十月十八日示寂、此寺もとは大宮町のうらにありしが、元文中回禄に罹りて後、こゝに移せり、本堂に安置するもの左にのす、
十一面観音。木立像長五尺二寸、慈覺大師作、
勝軍地蔵
妙見菩薩。權者十一人の像、縁起を巡禮のものに施す、説は第一番観音の條に載す、
仁王門。西向左右二像、共に長六尺九寸、傳へ云者昔年住僧門海、仁王門を經營の功半ならざるに、病に犯され事の就らざるを患ひて、本尊観音に速に平癒せんことを祈れば、その夜の夢に黄面の老僧、金剛神を從へ来て、門海が病吾能治すべしと、金剛神に命じ、門海が肩を執て引立るよと見えて夢さめ、病忽に本復して落成しけるこそ、不思議の靈感なりと、土人も知る所なりと云、(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による常楽寺の縁起
市指定史跡札所十一番
南石山常楽寺
この札所は、江戸時代には観音堂、仁王門庫裡を備えた立派な寺でしたが、明治十一年秩父大火で類焼し一切を烏有に帰しました。
本尊は、十一面観世音で、他に釈迦如来もまつってあります。
その昔、この寺の住持、門海上人は、仁王門建立を志し、多年勧化に心をくだきましたが、普請なかばにして重い病となり、本願の達しがたいことを憂い、本尊に快気を祈りしところ、ある夜黄面の老僧、金銅神を従いてあらわれ、「門海の病気吾能治すべし」といい、金銅神に上人が肩を引立てられる所にて夢さめ、たちまちに病い全快し、仁王門建立の本願を遂げたという縁起があります。
またこの寺は明治初年までは天台宗の寺でした。比叡山中興の祖元三慈恵大師をおまつりし、曹洞宗になっても一月三日には大勢の参詣で賑わっております。
また四月二十日は本尊十一面観音の縁日と共に辰歳生、巳歳生守護本尊の普賢菩薩の縁日で賑わっております。(境内掲示より)
常楽寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿