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神門寺。秩父市下宮地町にある曹洞宗寺院

神門寺の概要

曹洞宗寺院の神門寺は、白道山長生院と号し、秩父三十四ヶ所札所の第18番観音で著名です。神門寺の創建年代等は不詳ながら、かつて当地には神社が鎮座し、境内には大きな榊が伸びて絡み合い楼門のようになっていたことから神門と呼ばれていたといいます。この榊が枯れてしまい、再建のために神託を窺うと、寺にするようにとの託宣により観世音菩薩を安置したといいます。江戸期には神戸山長生院不動寺という修験寺院でしたが、明治維新後、神門寺と称するようになったといいます。

神門寺
神門寺の概要
山号 白道山
院号 長生院
寺号 神門寺
住所 秩父市下宮地町5−15
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



神門寺の縁起

神門寺の創建年代等は不詳ながら、かつて当地には神社が鎮座し、境内には大きな榊が伸びて絡み合い楼門のようになっていたことから神門と呼ばれていたといいます。この榊が枯れてしまい、再建のために神託を窺うと、寺にするようにとの託宣により観世音菩薩を安置したといいます。江戸期には神戸山長生院不動寺という修験寺院でしたが、明治維新後、神門寺と称するようになったといいます。

新編武蔵風土記稿による神門寺の縁起

(大宮郷)十八番觀音
秩父卅四番札所の内なり、神門にあり、堂は西向六間四面、本尊正觀音、木立像長二尺七寸五分、安阿彌の作。、此所往古は神社にてありしと云、その頃の榊ありしが、枝分れて左右より結び合ひ、恰も樓門の如し、これより神門の號あり、年舊りて木も枯れ社も廢しぬれど、元より其境清く靈地なれば、再興せんと里人等神託を窺に不思議なることにや、梵刹とすべしとの告あれば、遂にこの大士を安じ、長く佛場となれり、詠歌に曰、唯たのめ六道ともに大悲をば、神門にたちてたすけたまへる、
別當神門寺
青苔山不動寺長生院と號す、神門寺と稱するは、寺號と云にはあらあねど、神門にありし寺ゆへに、爾が唱来れり、本山修験、同郷の内今宮坊配下なり、堂地は一畝廿九歩、無年貢又除地あり、不動を安ず、開山詳ならず、中興開山正覺文禄四年十月十六日示寂、此寺寛政の頃祝融の災に罹りて、堂宇を始め什器古籍などみな烏有となりぬれば、往古のことは詳かならず、(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による神門寺の縁起

市指定史跡札所十八番
白道山神門寺
この寺は元修験寺で神戸山長生院といい今宮坊に属して栄えたといわれます。
円通伝にも堂六間四面とあり昔時の大いなるを偲ばせます。江戸中期寛政年間頃に焼失し、その後観音堂のみ再建しました。今の堂は三間四面、小さいながら整った建築で天保の頃つくられたと言われます。当時この地方の名匠藤田家の末孫藤田若狭の手によるものと伝えられます。
本尊は聖観世音立像で両手で蓮釜を持つ珍しいもので像高一〇二糎、室町時代の作といいます。
堂には元治元年郷土の生んだ森玄黄斎の揮毫彫刻になる扁額もあります。
その昔、ここは神社で大きい榊があり、その枝左右に分かれて空に伸び結びあい、楼内に似たる故、神門と称したといいます。年を経て木も枯れ神社の廃れるのみで里人はこれを再建せんと神託を伺えばと不思議にも巫女を通じて寺にせよと言うお告げがあり、里人は、ここに大悲観世音を安置し、国家の安泰を祈り永久霊場にしたという縁起があります。
昭和40年1月25日 秩父市教育委員会指定(境内掲示より)


いいお墓

神門寺の周辺図


参考資料