飛渕山龍石寺。秩父三十四ヶ所札所
龍石寺の概要
曹洞宗寺院の龍石寺は、飛渕山と号し、秩父三十四ヶ所札所の第19番観音で著名です。龍石寺の創建年代等は不詳ながら、本尊は弘法大師が勅命により製作した観世音菩薩像で、当地住民は深く信仰、虫害に悩まされた際には虫を退散、旱魃の際には岩盤を割って出た龍が雨を降り注いだとも伝えられ、山号寺号の由来となっています。当寺は、西方に荒川を従えた大きい一面の岩盤上にあります。
山号 | 飛渕山 |
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院号 | - |
寺号 | 龍石寺 |
住所 | 秩父市大畑町21-3 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
龍石寺の縁起
龍石寺の創建年代等は不詳ながら、本尊は弘法大師が勅命により製作した観世音菩薩像で、当地住民は深く信仰、虫害に悩まされた際には虫を退散、旱魃の際には岩盤を割って出た龍が雨を降り注いだとも伝えられ、山号寺号の由来となっています。当寺は、西方に荒川を従えた大きい一面の岩盤上にあります。
新編武蔵風土記稿による龍石寺の縁起
(大宮郷)十九番觀音
秩父卅四番札所の内なり、阿保にあり、堂は南向六間四面、是を本堂とす、本尊千手觀音、木坐像長一尺一寸、弘法大師の作、弘仁の朝に大師勅を蒙り、帝の御悩平癒を祈るとて、手刻せらるゝ靈像なりしが、後年に此所の村民等、蛟龍の害あるを患ひ、觀音を信仰し、害を免んことを念ずるの餘、觀音靈驗ありて、この像或時光明を放ちて飛来したまへば、蛟龍惡鬼も悉退散し、土人安堵して歡喜の餘り、即一堂を營み永く安置したてまつると云、此地や北は荒川に據り、巌々たる盤石にて、廿餘歩の間は更に塵土なく、實に清浄の境内なり、往昔旱年に雨を祈れば、件の盤岩を圻きて雲龍起り、雨浡然と澍ぎ、或はこの寺丙丁の災に罹りし時も、龍現して雨を降らせ、その災を除きけるとぞ相傳ふ、詠歌に曰、天地を動すほどの龍石寺、まいる人には利生あるべし、
別當龍石寺
飛淵山と號す、曹洞宗同郷廣見寺末なり、境内年貢地、開山廣見寺二世東雄朔方、明應二年八月十五日示寂、
寺寶龍玉一顆。徑八分うす紫の色なり
龍爪。長さ二寸三分、幅一寸五分、厚九分、次第に細くとがれり
奥院。堂前にあり、阿彌陀を安ず、
札堂。巡禮の札を納る所なり、千手觀音を安ず、(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による龍石寺の縁起
市指定史跡札所十九番
飛渕山龍石寺
この札所は大きい一面の岩盤上に建てられています。
七間半、四面表流れの向拝をふした方形造りの大きい観音堂です。
近年寺の荒廃を憂い広く浄財を募り、昭和四十七年改体復元が成り、その折宝永二年の墨書が発見されました。薄暗い堂内には閻魔を始め、十王像など冥途の恐怖を強調するものや三途の川の奪衣婆をまつる札所でもあります。
本尊は、千手観世音菩坐像で像高四九糎寄木造りで室町時代の作です。
昔、この地方に大旱魃があり、弘法大師は天皇の勅により雨を祈られたところ、この大盤石二つに割れて、神泉苑より竜が昇天し、雲を呼びたちまちに雨降り起こり、人畜草木皆蘇り大豊作を得たという縁起があります。
昭和40年1月25日 秩父市教育委員会指定(境内掲示より)
龍石寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿