実正山定林寺。秩父三十四ヶ所札所
定林寺の概要
曹洞宗寺院の定林寺は、実正山と号し、秩父三十四ヶ所札所の第17番観音で著名です。定林寺の創建年代等は不詳ながら、壬生の良門の家臣林太郎定元が主君の無道を諫めたところ、逆に追放されてしまい流浪、林太郎定元夫妻は当地で亡くり、孤児となった嬰児を養った沙門空照が哀れに思い、林太郎定元夫妻の菩提を弔うために一宇を建立、定林寺と号し、林寺と通称されるようになったといいます。
山号 | 実正山 |
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院号 | - |
寺号 | 定林寺 |
住所 | 秩父市桜木町21-3 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
定林寺の縁起
定林寺の創建年代等は不詳ながら、壬生の良門の家臣林太郎定元が主君の無道を諫めたところ、逆に追放されてしまい流浪、林太郎定元夫妻は当地で亡くり、孤児となった嬰児を養った沙門空照が哀れに思い、林太郎定元夫妻の菩提を弔うために一宇を建立、定林寺と号し、林寺と通称されるようになったといいます。なお、当寺は、「長享二年(1488年・室町時代)秩父札所番付」では札所1番だったそうです。
新編武蔵風土記稿による定林寺の縁起
(大宮郷)十七番觀音
秩父卅四番札所の内なり、宮地にあり、堂南向三間四面、本尊十一面觀音、木立像長一尺六寸、運慶作、此寺草創を尋るに、往古壬生の良門とて、東國に聞ふる剛強なる無慈の人あり、殺害せらるゝ者多く、臣民之を嘆きしに、家臣林太郎定元屡之を諫れども聴ず、流浪の後定元夫妻ともに没し、僅三歳の嬰兒孤となるを、沙門空照愍みて撫育し、因縁を聞きて良門感ずるの餘り、定元夫妻が菩提のため、彼塚の邊宮地の里に一宇を立て、定元が姓名を以て定林寺と號す、觀音の靈像は、後年大士の告によりて安置す、世俗林寺と云は、定元が姓氏なるを以ての故なり、詠歌に曰、あらましを思ひ定めし林寺、かね聞あへず夢そ覺ける、
別當定林寺
實正山と號す、除地一段三畝十四歩、園田筑前觸下諏訪社人丹生兵部持
札堂。千手觀音を安ず、
諏訪社。神職丹生兵部(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による定林寺の縁起
市指定史跡
札所十七番
実正山定林寺
この札所は四間四面の簡素で均斉のとれた堂です。内陣は古風な阿弥陀堂のように念仏廻廊が回っています。
本尊は十一面観世音立像で、像高五五糎の寄木造り、願主武州国郡法印元暁の銘があり、文禄二年癸丑三月二十三日開眼の墨書があります。
梵鐘は、日本百番観音霊場の本尊とご詠歌を鋳出した珍しいもので、工芸品として昭和三十九年三月県指定の文化財になっております。
又、安政、明治の徳行家、井上如常の父青岳の描いた狩野風な絵の掲額もあります。
縁起には、壬生の良門の忠臣林太郎定元は、主の無道を諌めかえって家財を没収され、当地に来て没しました。その遺子空然はこの地に養われ成人の後、父の菩提のため当寺を建立したとあります。
昭和40年1月25日 秩父市教育委員会指定(境内掲示より)
定林寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿