金嶽山法善寺。長瀞秋の七草寺めぐりの藤袴
法善寺の概要
臨済宗妙心寺派寺院の法善寺は、金嶽山と号します。法善寺は、一家西堂(元亀3年寂)が開山、初代天神山城主藤田右衛門佐康邦(弘治元年1555年寂)が開基となり創建したといいます。当寺には長瀞秋の七草寺めぐりの一つとなっている藤袴が植えられていることから藤袴の寺とも称されています。
山号 | 金嶽山 |
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院号 | - |
寺号 | 法善寺 |
住所 | 秩父郡長瀞町井戸476 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 長瀞秋の七草寺めぐりの藤袴 |
法善寺の縁起
法善寺は、一家西堂(元亀3年寂)が開山、初代天神山城主藤田右衛門佐康邦(法名法善寺殿山繁公大禅定門、弘治元年1555年寂)が開基となり創建したといいます。藤田右衛門佐康邦は、秩父白鳥郷と藤田十六郷の領主で、寄居町の正龍寺も開基したといいます。
長瀞町史による法善寺の縁起
法善寺
法善寺は、山号を金嶽山と称し、武州鉢形領男衾郡甘粕村泉福寺末と古書に記されている。本尊は阿弥陀如来で、他に廃寺となった金龍山妙音寺の本尊であった十一面観世音も安置されている。
開基は、初代天神山城主藤田右衛門佐康邦で、康邦は同時に寄居町の正龍寺も開基した。藤田氏の所領は、秩父白鳥郷と藤田十六郷で、後に北条氏康の三男の氏邦を養子に迎え、自らは花園城に引退し、弘治元年(1555)九月十三日死亡したが、位牌は前記開基の両寺に安置されている。
寺宝の和銅は、裏山の金ヶ嶽より落下したものといわれ、山麓の「銅の入」には現在でも自然銅が落下するという。
またこの地は和銅の遺跡として知られ、採銅抗が今でも数抗残存している。(長瀞町掲示より)
新編武蔵風土記稿による法善寺の縁起
(井戸村)法善寺
金嶽山と号す。臨済宗男衾郡甘糟村泉福寺末、除地二段一畝、開山一家西堂、元亀三年十月四日寂す、本尊阿弥陀、開基藤田右衛門佐康邦、弘治元年九月十三日卒、法謚法善寺殿山繁公大禅定門。(新編武蔵風土記稿より)
廃寺となった妙音寺について
(井戸村)妙音寺
金龍山と号す。宗末前(法善寺に)同じ(臨済宗男衾郡甘糟村泉福寺末)、除地九畝十歩、開山笑山西堂、天文十九年十月八日寂、本尊薬師を安ず。当時廃寺なり。
観音堂
妙音寺持。(新編武蔵風土記稿より)
法善寺所蔵の文化財
- 法善寺のしだれ桜
法善寺のしだれ桜
法善寺は「藤袴の寺」として多くの人々に親しまれていますが、四月初旬に満開となるしだれ桜も見事で、二本の桜が町指定の天然記念物になっています。
二本の桜は、それぞれ「与楽の地蔵ざくら」、「弥陀のさくら」と名ずけられています。「与楽の地蔵ざくら」はこの説明版の左側にある桜で、樹齢は推定で七十五年(平成三年十月現在)、枝張は東西・南北とも十二メートルです。「抜苦与楽」の文字が刻まれた地蔵に枝が垂れかかることから、この名前がつけられました。「弥陀のさくら」は説明版に向って右側、門をくぐってすぐ左側にある桜で、推定樹齢は百余年(平成三年十月現在)です。枝張東西十六メートル・南北十二メートルで、寺の本尊が阿弥陀如来であるところからこの名前がつけられました。
文化財は国民の財産です。大切にしましょう。(長瀞町教育委員会掲示より)
法善寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿