向陽山卜雲寺。秩父三十四ヵ所霊場6番
卜雲寺の概要
曹洞宗寺院の卜雲寺は、向陽山と号します。卜雲寺の創建年代等は不詳ながら、曹洞宗寺院としては、嶋田與左衛門(法名卜雲源心庵主)が開基となり、撫外春道(寛永15年1638年寂)が開山したといいます。本尊の正面観音は、武甲山頂に鎮座していた蔵王権現社の本尊として奉安されていたもので、其の後当地近くにあった荻野堂に移され、長享年間(1487-1888)の秩父三十四ヶ所霊場再編に伴い卜雲寺の管理となり、宝暦10年(1760)当寺へ移されました。秩父三十四ヵ所霊場6番です。
山号 | 向陽山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 卜雲寺 |
住所 | 秩父郡横瀬町横瀬1430 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 正觀世音菩薩像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 秩父三十四ヵ所霊場6番 |
卜雲寺の縁起
卜雲寺の創建年代等は不詳ながら、曹洞宗寺院としては、嶋田與左衛門(法名卜雲源心庵主)が開基となり、撫外春道(寛永15年1638年寂)が開山したといいます。本尊の正面観音は、武甲山頂に鎮座していた蔵王権現社の本尊として奉安されていたもので、其の後当地近くにあった荻野堂に移され、長享年間(1487-1888)の秩父三十四ヶ所霊場再編に伴い卜雲寺の管理となり、宝暦10年(1760)当寺へ移されました。秩父三十四ヵ所霊場6番です。
境内掲示による卜雲寺の縁起
当寺の本尊は古代末期より発生した山岳信仰の流れをくむ蔵王権現社の本尊として長く武甲山頂にあり、その後山岳信仰の推移とともに荻野堂に移され長享年間(1487頃)の札所再編により卜雲寺管理となった。当寺と武甲山との関係は札所成立期の歴史的背景として貴重である。この寺の寺宝として清涼寺式釈迦像、縁起絵巻等があり、観音堂は明治9年火災で全焼現在の建物はその後のものである。(横瀬町教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による卜雲寺の縁起
(横瀬村)第六番觀音
秩父卅四番札所の内なり、小名苅米にあり、堂は南向四間四面、荻の堂觀音と稱す、本尊正觀音、木立像長一尺二寸三分、行基の作なり、前立の觀音も同じ作なり、往昔はこの堂今の境内より、西の方七町許を隔て萩の堂を稱せし草菴に在けるを、寶暦十年に今の地に遷座せしむと云、この觀音年久しく、武甲山の蔵王権現社内に納置して、後年萩の堂へ移すと云、舊稱を帶て、即ちこゝをも萩の堂とよべり、この堂の舊跡にとか池と云あり、今は水涸てその所を藪澤とよべり、縁起の略に曰、ある獵師某この觀音の瑞光を感じ、發心しけるが、後行基手刻の佛像を乞求め、つゐに五十三歳にして正念往生せり、その夜里人夢むらく、觀音かの獵師を具して、西方飛去たまうと爾しより、十三人の權者順禮したまう時、觀音萩の中に光明を放ちて在せしを、采り納めて此小堂をいとなみて安置せしこそ、この寺の草創なりとぞ、順禮の詠歌に云、初秋に風吹むすふ萩の堂や、とかりの世の夢ぞさめけり、
別當卜雲寺
昔は向南山と號せしが、今は向陽山とあらたむ、曹洞宗、入間郡越生郷龍穏寺末なり、本尊薬師、木坐像長一尺一寸五分、弘法大師の作なり、境内年貢地、三百坪あり、開山撫外春道寛永十五年正月廿五日寂す、開基は嶋田與左衛門、法號に卜雲源心庵主寛永七年十一月十七日歿、その子孫今に村内にあり、
寺寶石一。圓石徑六寸、撫石と稱す、弘法大師加持石と云、
戸帳。赤地錦に御紋章あり、一は浄岸院殿より寄附、一は蓮光院殿より寄附すと云
奥院。寺後山上にあり、大日を安ず、木座像長一尺五寸、行基の作、
札堂。順禮のもの札を納むる所、觀音の石像を安ず、(新編武蔵風土記稿より)
卜雲寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿