青苔山西善寺。秩父三十四ヵ所霊場、東国花の寺百ヶ寺
西善寺の概要
臨済宗南禅寺派寺院の西善寺は、青苔山と号します。西善寺の創建年代等は不詳ながら、北条家出身の竹印(寛正5年1465寂)が開山したといいます。本尊の十一面観音は、恵心僧都の作と伝えられ、秩父三十四ヵ所霊場8番、東国花の寺百ヶ寺です。
山号 | 青苔山 |
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院号 | - |
寺号 | 西善寺 |
住所 | 秩父郡横瀬町横瀬598 |
宗派 | 臨済宗南禅寺派 |
本尊 | 准胝観世音菩薩像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 秩父三十四ヵ所霊場8番 |
西善寺の縁起
西善寺の創建年代等は不詳ながら、北条家出身の竹印(寛正5年1465寂)が開山したといいます。本尊の十一面観音は、恵心僧都の作と伝えられ、秩父三十四ヵ所霊場8番となっています。
新編武蔵風土記稿による西善寺の縁起
(横瀬村)第八番觀音
秩父卅四番札所の内なり、小名根古屋にあり堂は南向四間四面、本尊十一面觀音、木立像長七寸一分、惠心僧都の作と云、又曰今札堂に置く所の彌陀の三尊を、古へは本尊とせしと、是も僧都の作なりと云、又安阿彌の作とも云、圓通傳に云、古へ爰に一僧あり、来て里人に問て云、汝等巡禮の和歌やしりてある里老の云、吾若かりし頃、諸國穏かにして人直ぐ佛乗を信じて、順禮の人多長途の勞を忘れんが爲に、各詠歌に節墨譜つげて、謡ひつれて参詣せし、その時の詠歌吾よく覺へたりと、取あへず當寺の詠を吟詠しければ、客僧悦て、あな貴と賢くもこの歌をなん思出たる、この歌は他の詠歌よりすぐれて、有がたさ詠ぞかしと云々、その詞に曰、たた賴め誠のときは、西善寺来りむかへん、彌陀の三尊、
別當西善寺
青苔山と號す、或云清泰山と、臨済宗、田村郷圓福寺末、境内除地一段三畝、本尊十一面觀音古色とみゆ、開山竹印寛正五年七月三日寂す、俗称は北條氏族の人と云、或云當寺開基の人晩年に剃髪して、西善寺と稱せしと文化七年火災にかかり古記を失ふと云、堂塔今に再建就らず、
奥院。本堂の左の方にあり、馬頭觀音を安ぜり
札堂。子安觀音を安ず、惠心の作、又前にのする三尊の彌陀を安ず
正八幡社。上杉謙信守護神と云、その家臣永田某、當所小御嶽の城に籠り居けるが、主君の歿後にこの神體、及び法名をここに納むと云、(新編武蔵風土記稿より)
西善寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿