勝瀬榛名神社。富士見市勝瀬の神社

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勝瀬榛名神社。富士見市勝瀬の神社

勝瀬榛名神社の概要

勝瀬榛名神社は、富士見市勝瀬にある榛名神社です。勝瀬榛名神社の創建年代等は不詳ながら、文明9年(1477)再建の棟札が残され、室町時代には既に祀られていたといいます。万宝院林光坊が代々別当職を勤めていましたが、明治維新後復職、明治5年村社に列格、明治40年には駒林の八幡神社、稲荷窪の稲荷神社、御舟山の船山弁才天社・鷺森神社を合祀しています。

勝瀬榛名神社
勝瀬榛名神社の概要
社号 榛名神社
祭神 埴上姫命、豊受姫命
相殿 -
境内社 稲荷神社、厳島神社、富士神社、藤塚神社、大六天神社、疱瘡神社
祭日 例大祭4月10日
住所 富士見市勝瀬791
備考 旧村社



勝瀬榛名神社の由緒

勝瀬榛名神社の創建年代等は不詳ながら、文明9年(1477)再建の棟札が残され、室町時代には既に祀られていたといいます。万宝院林光坊が代々別当職を勤めていましたが、明治維新後復職、明治5年村社に列格、明治40年には駒林の八幡神社、稲荷窪の稲荷神社、御舟山の船山弁才天社・鷺森神社を合祀しています。

境内石碑による勝瀬榛名神社の由緒

榛名神社由緒
勝瀬総鎮守
埴上姫命、豊受姫命
例大祭4月10日
詳細創立年代は不明、本社再建が文明九暦丁酉年(室町中期、西暦一四七七年)四月十日武州入東郡勝瀬村大願主林光坊武州吉見領小泉村大工加藤杢之助と棟札に明記されている。河越城主松平大和守の崇敬あり毎年御供米一斗五升宛下附せられた。明治五年村社に列した(明治三十九年四月神饌幣帛料供進指定)。(境内石碑より)

「埼玉の神社」による勝瀬榛名神社の由緒

榛名神社<富士見市勝瀬七九一(勝瀬字宮回り)>
当社の創建について『勝瀬万宝院別当之榛名宮由来記』がある。これによると、孝昭天皇二五年に厳島に上陸した摩耶夫人が、当地に移って祀られたとある。この由来から氏子に鎮座伝説が残されている。「はんな様と貝塚山稲荷様と薬師様の三方が船(今の御舟山)で来た時、この船が沈んだのでこの地に泳ぎ着いた。そこで御舟山には船山弁才天が祀られた。また境内に大きな藤の木がある。これは榛名様が沈んだ時手をかけて上った藤で、これを切った人には祟りがあるという。更に明治の初め、神社調査に御本社を開いたら白いイタチが飛び出し、跡に美しい装束がハラリと落ちた。また錦の着物とお骨が出て“もうよい”という声がした」という。
社記に「本社再建の棟札、文明九暦丁酉四月十日・武州入東郡勝瀬村大願主林光坊・武州吉見領小泉村大工加藤杢之助」があり、更に「川越城主松平大和守の崇敬厚く毎年御供米一斗五升が上げられていた」とある。
棟札の林光坊とは鈴木栄寿現宮司家の先祖で、万宝院と号して代々別当を務めていた。
明治五年に村社となり、同四〇年には駒林の八幡神社、稲荷窪の稲荷神社、御舟山の船山弁才天社・鷺森神社を合祀した。(「埼玉の神社」より)

新編武蔵風土記稿による勝瀬榛名神社の由緒

(勝瀬村)榛名権現社
萬寶院の持、
末社。淺間社(新編武蔵風土記稿より)


勝瀬榛名神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)