水子氷川神社。富士見市水子の神社

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水子氷川神社。弘治元年に創建

水子氷川神社の概要

水子氷川神社は、富士見市水子にある氷川神社です。水子氷川神社は、武蔵国一の宮大宮氷川神社を勧請して弘治元年(1555)に創建、江戸期には水子村の総鎮守だったといいます。明治維新後、水子地内の各社を合祀しています。

水子氷川神社
水子氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素盞嗚尊・奇稲田姫尊
相殿 -
境内社 稲荷社・日枝社、弁天・大楽天宮
祭日 -
住所 富士見市水子5050
備考 -



水子氷川神社の由緒

水子氷川神社は、武蔵国一の宮大宮氷川神社を勧請して弘治元年(1555)に創建、江戸期には水子村の総鎮守だったといいます。明治維新後、水子地内の各社を合祀しています。

「埼玉の神社」による水子氷川神社の由緒

氷川神社<富士見市水子五〇五〇(水小字正網)>
鎮座地水子の地名は室町期、市場之祭文の応永二二年の追記に「武州入間郡水子郷」とあるのが初見である。また、下って江戸期には、村を上・中・下と三組に分け、各組に名主を置いた。
当社は、中水子に鎮座し、社記によると水子の総社として弘治元年に武蔵国一の宮大宮氷川神社から勧請されたと伝える。
『風土記稿』には、氷川社が二社記載され、「一は村内総ての鎮守にて福性寺持、一は上組の鎮守とす、村民持」とあり、当社は真言宗福性寺持ちの社であった。
明治に入り、福性寺は神仏分離により廃寺となった。寺跡は当社裏手の山林で、往時の住僧の墓を残すのみである。祀職は、当地の十玉院配下摩訶山般若院の水宮法徳が、明治八年に同院の本尊不動明王を足立町中道に移し、復飾して神職となり、以来、当社の祭祀を行っている。現在の宮司は水宮三衛である。
明治四三年には、字神明の神明社および境内社八雲社・大黒社、字城之下の諏訪社および境内社八雲社・稲荷社・金刀平社、字正網の神明社、字別所の八幡社を合祀し、更に大正二年には、字東台の稲荷社、字東石井の稲荷社及び境内社榛名社・八坂社を合祀した。次いで大正三年には、字寺下・字山崎・字小原・字経塚・字石井の各稲荷社を合祀した。(「埼玉の神社」より)

新編武蔵風土記稿による水子氷川神社の由緒

(水子村)
氷川社二宇
一は村内總ての鎮守にて福性寺持、一は上組の鎮守とす、村民持、(新編武蔵風土記稿より)


水子氷川神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)