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下南畑八幡神社。富士見市下南畑の神社

下南畑八幡神社の概要

下南畑八幡神社は、富士見市下南畑にある八幡神社です。下南畑八幡神社は、足利満兼が応永7年(1400)に当地を鶴岡八幡宮に寄進して社領となった際、鶴岡八幡宮を勧請して創建したと伝えられます。天文年間には難波田城主の難波田弾正が篤く崇敬、江戸期には下南畑村の鎮守として祀られていました。明治5年村社に列格、大正元年に字町田の村社阿蘇、字蓮田の無格社天神社、字木染の天神、字前新田の無格社妙見社を合祀、村内に鎮座していたその他の諸社を境内に遷しています。

下南畑八幡神社
下南畑八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 応神天皇、神功皇后、姫大神、阿蘇姫、菅原道真公、北極星
相殿 -
境内社 天神社、稲荷社、八雲社、御嶽社、琴平社、庚申
祭日 -
住所 富士見市下南畑1148
備考 旧村社



下南畑八幡神社の由緒

下南畑八幡神社は、足利満兼が応永7年(1400)に当地を鶴岡八幡宮に寄進して社領となった際、鶴岡八幡宮を勧請して創建したと伝えられます。天文年間には難波田城主の難波田弾正が篤く崇敬、江戸期には下南畑村の鎮守として祀られていました。明治5年村社に列格、大正元年に字町田の村社阿蘇、字蓮田の無格社天神社、字木染の天神、字前新田の無格社妙見社を合祀、村内に鎮座していたその他の諸社を境内に遷しています。

境内掲示による下南畑八幡神社の由緒

八幡神社は、下南畑一一四八番地に鎮座する。誉田別之命・神功皇后・姫大神・阿蘇姫命・菅原道真公・北極星を祭神とし、院理・八雲・御嶽・琴平の摂社末社を持つこの神社の歴史は古い。
応永七年(一四〇〇)、足利満兼が当地を鶴岡八幡宮に寄進して社領となり、同年同社を分祀奉斎した時におこると伝えられている。
また、天文(一五三二~一五五五)の頃、此の地を領し在城した難波田弾正は当社をあつく崇敬したという。境内には百余年の樹齢をほこる杉などあったが、大永・大風で今はその姿はない。(富士見市掲示よより)

「埼玉の神社」による下南畑八幡神社の由緒

八幡神社<富士見市下南畑一一四八(下南畑字八幡脇)>
当社は難波田城の鎮守として祀られたと伝え、『埼玉縣史』では、その創建を応永年中とし、『風土記稿』では「鎮座の年暦知ざれど、難波田弾正此地に居住の時、鎮守せし由伝ふなれば、天文の頃既に鎮座ありしことは知べし」と載せ、また『明細帳』には「天正年中当村古城主難波田弾正在城ノ砌守護ノ為メ山城国石清水八幡ノ神霊ヲ合祀スト云フ」とある。また、一説には応永七年に足利満兼が当地を鶴岡八幡宮に社領として寄進したために同社から分祀したともいう。
『明細帳』によると主祭神は応神天皇・神功皇后・姫大神である。明治五年に村社となり、大正元年一〇月一五日に字町田の村社阿蘇社(阿蘇姫命)、字蓮田の無格社天神社(菅原道真公)、字木染の天神社(菅原道真公)、字前新田の無格社妙見社(北極星)を本殿に合祀した。更に字裏新田、字乗越、字葭会の各稲荷社を境内の稲荷社に、南畑新田字登戸の須賀社を境内八雲神社に、南畑新田字尻永の山神社を境内御嶽神社に合祀した。中でも阿蘇社は『風土記稿』に「勧請の年暦は伝へざれど、社内に古き棟札二枚を蔵む、其一は最古色にて、阿曾の二字のみ僅に見ゆ一は永正元甲子年七月別当万蔵院造営せし由のせたれば古社なること論なし」と記しているが、合祀により現在では跡形もなくなっている。(「埼玉の神社」より)

新編武蔵風土記稿による下南畑八幡神社の由緒

(下南畑村)八幡社
村の鎮守なり、是も鎮座の年歴は知ざれど、難波田弾正此地に居住の時、鎮守とせし由傳ふれば、天文の頃既に鎮座ありしことは知べし、
末社。金毘羅社、天王社、稲荷社(新編武蔵風土記稿より)


下南畑八幡神社の周辺図

参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)