水光山大應寺。彩の国武州路十二支霊場巳年霊場
大應寺の概要
真言宗智山派寺院の大應寺は、水光山不動院と号します。大應寺の創建年代等は不詳ながら、当寺過去帳に法印賢憲が天文17年(1548)に示寂していることを載せていることから、戦国時代には既に創建されていたことが窺えます。彩の国武州路十二支霊場巳年霊場です。
山号 | 水光山 |
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院号 | 不動院 |
寺号 | 大應寺 |
本尊 | 不動明王像 |
住所 | 富士見市水子1765 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | 薬師堂斎場 |
備考 | - |
大應寺の縁起
大應寺の創建年代等は不詳ながら、当寺過去帳に法印賢憲が天文17年(1548)に示寂していることを載せていることから、戦国時代には既に創建されていたことが窺えます。
新編武蔵風土記稿による大應寺の縁起
(水子村)大應寺
新義眞言宗、京都醍醐報恩院末、水光山不動院と號す、草創の年代は傳へざれど、當寺の過去帳に記せし世代の内法印賢憲は、天文十七年示寂すとあれば、舊き起立なること知べし、中興開山を宥勝と云、貞享二年六月二十九日寂せりと云、本尊不動を安ず、此寺の持に大應寺塚と云る古塚あり、古へは百八塚とも云て其數ありしが、今は一にて形ち長く小なる堤のごとし、由来は詳らかならず、
撞鐘。樓門の上に掛く、寛延四年の銘文あり、事實に陟らざればのせず、
地蔵堂
稲荷社(新編武蔵風土記稿より)
大應寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」