苗間薬師堂。ふじみ野市苗間にある堂庵

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苗間薬師堂。苗間小学校の校舎に供用

苗間薬師堂の概要

苗間薬師堂は、ふじみ野市苗間にある堂庵です。薬師堂の創建年代等は不詳ながら、幕末に焼失・その後廃寺となった浄禅寺の境外仏堂として、江戸時代後期に編纂された「新編武蔵風土記稿」に記載されており、江戸時代中期の作とされる薬師如来像が奉安されています。明治5年の学制発布から明治12年までの間、苗間小学校の校舎として利用されていました。

苗間薬師堂
苗間薬師堂の概要
山号 -
院号 -
寺号 -
本尊 薬師如来像
住所 ふじみ野市苗間575
宗派 -
葬儀・墓地 -
備考 -



苗間薬師堂の縁起

薬師堂の創建年代等は不詳ながら、幕末に焼失・その後廃寺となった浄禅寺の境外仏堂として、江戸時代後期に編纂された「新編武蔵風土記稿」に記載されており、江戸時代中期の作とされる薬師如来像が奉安されています。明治5年の学制発布から明治12年までの間、苗間小学校の校舎として利用されていました。

新編武蔵風土記稿による薬師堂の縁起

(苗間村)
薬師堂
浄禅寺の持、
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浄禅寺
新義眞言宗、足立郡與野町圓乗院末、本尊釋迦を安ず、今は無住の寺なり、 (新編武蔵風土記稿より)

上福岡市史資料編による薬師堂の縁起

江戸試合に編さんされた『新編武蔵風土記稿』には、この薬師堂が、与野(現さいたま市)の円乗院の末寺であった浄禅寺の堂宇であることが記されています。同『風土記稿』には、本堂の他に阿弥陀堂、そして、この薬師堂が浄禅寺管理の堂宇として記載されていますので、浄禅寺はそれなりの規模の寺院であったことと思われます。残念なことに、浄禅寺は幕末に火災にあい、以後再建されることがありませんでした。このため浄禅寺については不明な点が少なくありません。
しかしながら、薬師堂は浄禅寺境内の外にあったためか幸いにも焼失を免れ、明治時代以降現在にいたるまで、地域の人々により管理されてきました。堂内には宮殿型の厨子が置かれ、中に江戸時代中期の作と考えられる木造の薬師如来像が本尊として祀られています。
この薬師堂の建立時期については明治時代に作成された『入間郡寺院明細帳』に「嘉永二年(一八四九)四月再営」という記載がありますので、建立時期はおそらくこの頃と考えられます。
また、明治新政府が明治五年(一八七二)に学制を制定した際には、ここに小学校が置かれ、同十二年(一八七九)に大井・亀久保の小学校と合併して旭学校(現大井小学校)が設立されるまで苗間小学校の校舎として使用されたりもしました。
このように地域の人々の信仰の場として、或いはまた学びの場として親しまれてきた薬師堂でしたが、残念ながら老朽化のため取りこわされ、旧地の東側に新たな薬師堂が建てられました。(ふじみ野市教育委員会・ふじみ野市文化財審議委員会掲示より)


苗間薬師堂の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」