明戸諏訪神社。田村外記・亀井宇丹が慶長16年に勧請
明戸諏訪神社の概要
明戸諏訪神社は、深谷市明戸にある神社です。明戸諏訪神社は、上野国高岡村から当地に移住した田村外記・亀井宇丹が、慶長16年(1612)に勧請したといいます。明治42年に村内の6社を合祀、八坂神社が鎮座していた当地に遷座したといいます。
社号 | 諏訪神社 |
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祭神 | 建御名方命 |
相殿 | - |
境内社 | 八坂社、稲荷社、三峰社 |
祭日 | 春例大祭4月15日、秋例大祭10月15日、八坂祭7月27日 |
住所 | 深谷市明戸504 |
備考 | - |
明戸諏訪神社の由緒
明戸諏訪神社は、上野国高岡村から当地に移住した田村外記・亀井宇丹が、慶長16年(1612)に勧請したといいます。明治42年に村内の6社を合祀、八坂神社が鎮座していた当地に遷座したといいます。
新編武蔵風土記稿による明戸諏訪神社の由緒
(明戸村)
諏訪社
村の鎮守なり、阿彌陀寺持、下同じ(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による明戸諏訪神社の由緒
諏訪神社<深谷市明戸四〇八(明戸字田中東)>
当社は、小山川右岸の徴高地に鎮座する。地名の明戸は、河川の乱流により土砂がたまった所を示す「悪戸」に由来するという。
創建は、慶長十六年(一六一二)諏訪大明神を厚く僕する信仰する上野国高岡村の田村外記・亀井宇丹の両名が、信濃国諏訪大社より神霊並びに神巻を拝受して当地に移住し、これを祀る祠を建立したことによると伝えられる
『風土記稿』によるとと別当は当地の真言宗阿弥陀寺である。開山は伝慶で、寛永六年(一六二九)の草創である。
主祭神は、建御名方命で、かつては本殿に諏訪大明神の本地仏である普賢菩薩を祀っていたという。
明治四十二年、字新井に鎮座していた当社は、字聖天木の住吉神社、字田中と字明ヶ塚の二社の稲荷神社、字新屋敷の神明社、字駒帰の市杵島神社、字本郷の大雷神社の六社を合祀し、字田中東の八坂神社境内に遷座した。八坂神社はこの際、当社の末社となった。また、同時に社地が狭小であったために、氏子から土地の寄付を受けて拡張を行った。
ちなみに、現在の本殿は、この遷座に際して移されて来たもので、古老は「字本郷に住んでいた万頭梁と呼ぶ名工が特別に仕立てた牛車に本殿を載せて、三日を費やして粛々と運び込んだ」と語っている。(「埼玉の神社」より)
明戸諏訪神社の周辺図