本田春日神社。枚岡神社を勧請して天平20年創建
本田春日神社の概要
本田春日神社は、深谷市本田にある神社です。本田春日神社は、天平20年(748)の勧請と伝えられ、河内国枚岡神社を勧請して枚岡神社と号していたといいます。その後、河内国枚岡神社が奈良の春日山に奉斎されて春日神社と改称したのに伴い、当社も春日神社と改称、平安時代末期に当地を領有した本田次郎近常は篤く崇敬したといいます。江戸期には本田村の下本田地区の鎮守として祀られ、明治7年村社に列格、明治42年大天白神社を合祀しています。
社号 | 春日神社 |
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祭神 | 天兒屋根命 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷神社、八坂神社、古峰、八幡、雷電、山之、富士浅間合殿、 |
祭日 | 例祭4月14日、八坂祭7月14・15日、秋祭り10月14・15日 |
住所 | 深谷市本田2025 |
備考 | - |
本田春日神社の由緒
本田春日神社は、天平20年(748)の勧請と伝えられ、河内国枚岡神社を勧請して枚岡神社と号していたといいます。その後、河内国枚岡神社が奈良の春日山に奉斎されて春日神社と改称したのに伴い、当社も春日神社と改称、平安時代末期に当地を領有した本田次郎近常は篤く崇敬したといいます。江戸期には本田村の下本田地区の鎮守として祀られ、明治7年村社に列格、明治42年大天白神社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による本田春日神社の由緒
(男衾郡本田村)
春日社
下本田の鎮守なり、天平二十年の勧請なりなど傳へたれど、據とすべき事なし、社邊に彌陀堂あり、是本地佛なるをもて春日堂と稱す、教念寺持、
末社。稲荷(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による本田春日神社の由緒
春日神社<川本町本田二〇二五(本田字杉原)>
畠山重忠の郎従本田次郎近常がこの地に居住したと伝えられる本田は、荒川右岸に位置する農業地域である。当社は、『風土記稿』では、天平二十年(七四八)勧請と伝えるが、根拠はないと記している。一方、社記によれば、当社は、河内国(現大阪府)に鎮座する枚岡神社を分祀したもので、創建当時は枚岡神社と称していた。しかし、平城京への遷都(和銅三年・七一〇)に伴い、藤原氏がその氏神として河内国の枚岡神社を奈良の春日山に奉斎し、春日神社と改称したことから、当社もまた春日神社と改めたという。このように、奈良の春日神社とつながりの深い当社の祭神は、本社と同じ天兒屋根命である。
中世には、本田次郎の崇敬が厚く、同氏によって社殿も造営されたと伝えられる。江戸時代には地内教念寺の持ちとなり、下本田の鎮守としてその住民から信仰され、明治七年には村社になった。美しく整備された境内には、昔からみれば樹木が少なくはなったものの、所々に杉や檜が涼しい木陰を作っており、氏子の憩いの場になっている。
また、現在社務所のある所には、かつて春日堂という阿弥陀如来を祀った堂があった。この堂は『風土記稿』にも「社辺に阿弥陀堂あり、是本地仏なるをもて春日堂と称す」とあるもので、茅葺きの堂であったが、昭和三年に改修して社務所としたもので、地域の様々な会合の場にも利用され、住民と神社を結ぶ役割を果たしている。(「埼玉の神社」より)
本田春日神社の周辺図