本田坂上神社。本田次郎近常が祖先俵藤太の信仰していた赤城神社を創祀
本田坂上神社の概要
本田坂上神社は、深谷市本田にある神社です。本田坂上神社は、畠山重忠に仕えた本田次郎近常が、祖先俵藤太の信仰していた赤城神社を祀ったと伝えられます。江戸期には赤城社と称し、本田村上本田地区の鎮守として祀られていました。明治7年村社に列格、明治41年黒の谷の稲荷神社、後鷹の巣の愛宕神社を合祀、大正7年坂上神社と改称しています。
社号 | 坂上神社 |
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祭神 | 大己貴命、豊城入彦命、宇迦御魂命、菅原道真公、軻遇突智命、天照大御神 |
相殿 | - |
境内社 | 御嶽大神、一心霊神、神明、天神、浅間、稲荷 |
祭日 | 例祭4月15日、秋例祭10月14日 |
住所 | 深谷市本田4898-1 |
備考 | - |
本田坂上神社の由緒
本田坂上神社は、畠山重忠に仕えた本田次郎近常が、祖先俵藤太の信仰していた赤城神社を祀ったと伝えられます。江戸期には赤城社と称し、本田村上本田地区の鎮守として祀られていました。明治7年村社に列格、明治41年黒の谷の稲荷神社、後鷹の巣の愛宕神社を合祀、大正7年坂上神社と改称しています。
新編武蔵風土記稿による本田坂上神社の由緒
(男衾郡本田村)
赤城社
上本田の鎮守なり、村民持(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による本田坂上神社の由緒
坂上神社<川本町本田四九〇〇(本畠村上本田)>
社伝は、当社の創建を天慶三年(九四〇)に俵藤太が、将門追討に向かう時、当地において病に罹り、日ごろ信仰している赤城大神と薬師如来に祈り平癒し、後に藤太の子孫がこの地に住んで本田次郎近常と名乗り、先祖を偲んで赤城神社と俵薬師を祀ったという。
本田次郎近常は、畠山重忠に仕え、元久二年(一二〇五)に武州二俣川において北条時政のために謀殺されている(『吾妻鏡』)。近常のあとは『風土記稿』に「旧家は本田五郎兵衛、本田次郎親(近)常の子孫にして世々当所に住す」とあり、更に、諸役免除・代々苗字帯万を許されていることを記している。この住まいは、本田屋敷と呼ばれ、文禄四年(一五九五)の検地帳には、下本田郷内とある。
当社は口碑によると、昔はこの本田屋敷内に祀られていたという。『大里郡神社誌』は、古くは、現在地より東方一〇町余りの所にあったと伝えているが、移転の時期は不明であるとしている。
『風土記稿』は「赤域社 上本田の鎮守なり」と載せている。
当地は、寛文十年(一六七〇)以来、菅沼家が知行しているが、同家は特に当社を崇敬したと伝え『大里郡神社誌』には「本殿 方二尺、元禄年間地頭菅沼某及び氏子中島某の尽力にて造営」とある。
明治四十一年に、地内黒の谷の稲荷神社、後鷹の巣の愛宕神社を合祀し、大正七年四月に社号を坂上神社と改称した。(「埼玉の神社」より)
本田坂上神社の周辺図