上敷免諏訪神社。岡谷加賀守香丹が皿沼城の鎮守として創建
上敷免諏訪神社の概要
上敷免諏訪神社は、深谷市上敷免にある神社です。上敷免諏訪神社は、深谷城上杉氏の重臣岡谷加賀守香丹が、当地に皿沼城築城に際して城の鎮守として延徳3年(1491)に創建したと伝えられます。皿沼城は天文21年(1552)に廃城になったものの、いつしか上敷免の鎮守として祀られるようになったといいます。
社号 | 諏訪神社 |
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祭神 | 建御名方命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 八坂祭7月28日、秋祭り10月17日 |
住所 | 深谷市上敷免940 |
備考 | - |
上敷免諏訪神社の由緒
上敷免諏訪神社は、深谷城上杉氏の重臣岡谷加賀守香丹が、当地に皿沼城築城に際して城の鎮守として延徳3年(1491)に創建したと伝えられます。皿沼城は天文21年(1552)に廃城になったものの、いつしか上敷免の鎮守として祀られるようになったといいます。
新編武蔵風土記稿による上敷免諏訪神社の由緒
(上鋪免村)
諏訪社
村の鎮守なり、泉光寺持、
(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による上敷免諏訪神社の由緒
諏訪神社<深谷市上敷免九四〇(上敷免字皿沼)>
当地地は、古くから開かれた所である。鎮座地の地名である上敷免は雑色免の転訛という。雑色とは、古代、種々の技術に従う人をいい、雑色免は、荘園において雑色の報酬として給付された免税地である。
当社は、深谷城上杉氏の重臣であり、鎮守府将軍源経基の子孫と伝える岡谷加賀守香丹が、延徳三年(一四九一)当地に皿沼城を築いて住んだ時、城の鎮守として、岡谷氏の旧地である上野国岡谷(現群馬県沼田市岡谷町) から、諏訪大明神を勧請したものである。この諏訪大明神は、古い時代に、信濃国岡谷(現長野県岡谷市)から上野国岡谷に移り住んだ人が、信濃国の一之宮である諏訪大社を祀ったものと考えられる。
『重修岡谷家譜』に「城内に諏訪の社あり。鎮守とす、社に左巴の紋あり、土人之を岡谷造りという」とある。
当社は、その後、代々の城主に崇敬されていたが、天文二十一年(一五五二)に皿沼城が廃されると、『風土記稿』に「諏訪社 村の鎮守なり、泉光寺持」とあるように、村の鎮守となった。ちなみに、泉光寺は鎌倉期の創建と伝える寺である。
内陣に安置する諏訪大明神像は、風の神である諏訪の神を表現して神衣の袖を風になびかせている。この神像は、明治初年の神仏分離に際して、泉光寺に移されていたが、太平洋戦争後再び納められた。(「埼玉の神社」より)
上敷免諏訪神社の周辺図