武蔵野十二社神社。深谷市武蔵野の神社
武蔵野十二社神社の概要
武蔵野十二社神社は、深谷市武蔵野にある神社です。武蔵野十二社神社は、日本武尊が東征の折に兵馬や食糧の無事を祈るため、字権現平に天地十二神を祀ったと伝えられます。天明3年(1783)の暴風雨により社地が崩壊、神体が漂着した昭和橋付近に社を設けて祀っていたといいます。明治初年村社に列格、明治42年八幡神社に合祀されたものの、昭和28年字濡僧に復祀、十二社神社としています。
社号 | 十二社神社 |
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祭神 | 国常立尊・豊雲野尊・宇比地邇尊・須比智邇尊・角杙神・活杙神・意富斗能地神・大斗乃辨神・淤母陀琉神・阿夜訶志古泥神・伊邪那岐神・伊邪那美神 |
相殿 | - |
境内社 | 宇賀神、大国主神、八幡・天手長男・八坂・大荒神・稲荷・諏訪 |
祭日 | 元旦祭、春祭り節分祭、例大祭4月、八坂祭、秋祭り |
住所 | 深谷市武蔵野277-3 |
備考 | - |
武蔵野十二社神社の由緒
武蔵野十二社神社は、日本武尊が東征の折に兵馬や食糧の無事を祈るため、字権現平に天地十二神を祀ったと伝えられます。天明3年(1783)の暴風雨により社地が崩壊、神体が昭和橋付近に漂着したので、そこに社を設けて祀っていたといいます。明治初年村社に列格、明治42年八幡神社に合祀されたものの、昭和28年萩原家より山林の提供を受け、字濡僧に復祀、十二社神社としています。
新編武蔵風土記稿による武蔵野十二社神社の由緒
(飯塚村)
十二社権現社
村の鎮守とす、村内寿宝院持(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による武蔵野十二社神社の由緒
十二社神社<花園町武蔵野二七七-三(武蔵野字宮地)>
当社は、天神七代地神五代の一二代の神霊を併せ把ることから「十二社神社」と呼ばれる。天神七代とは国常立尊・豊雲野尊・宇比地邇尊・須比智邇尊・角杙神・活杙神・意富斗能地神・大斗乃辨神・淤母陀琉神・阿夜訶志古泥神・伊邪那岐神・伊邪那美神である。
ただし、宇比地地尊以下は男女二柱を一代として数える。また、地神五代とは天照大神・正勝吾勝勝速日天忍穂耳尊・天津彦々火瓊々杵尊・彦火々出見尊・彦波瀲武鵜草葺不合尊である。
伝説によれば、当社は、東征の折にこの地を通りかかった日本武尊が兵馬や食糧の無事を祈るために天地十二神を祀ったことに始まる。初めは地内西部の山地にある字権現平に社があった。権現平の地名は、当社が神仏分離以前は十二社権現と呼ばれていたことに由来する。
ところが、天明三年(一七八三)の暴風雨による洪水で旧社地の一帯が崩壊し、社殿は流失したが神体だけは字宮地(現在の昭和橋付近)に漂着したので、そこに新たな社を設けて祀ることになった。明治の初めには村社となったが、政府の合祀政策に従い、明治四十二年に同大字中郷(近世の原宿村)の八幡神社に合祀され、このことによって同社は武蔵野神社と改称した。しかし、昭和二十八年四月、旧氏子の願い出により、字濡僧に新たな境内を設けて武蔵野神社から神霊を分祀し、十二社神社が復興され、現在に至っているのである。(「埼玉の神社」より)
武蔵野十二社神社の周辺図