深谷八坂神社。深谷市西島の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

深谷八坂神社。旧深谷宿の総鎮守

深谷八坂神社の概要

深谷八坂神社は、深谷市西島にある神社西島瀧宮神社境内にあります。深谷八坂神社は、上杉房憲が築いた深谷城の本丸に庚正2年(1456)「三社天王」として祀られ、牛頭天王・弁財天・大黒天を祀っていたといいます。江戸期に深谷城が廃城となった後、深谷宿の総意により天和元年(1681)立町地先に遷座、深谷宿の住民の崇敬を受けていましたが、明治12年道路法施行のため立町伊勢殿神社の境内に遷座、昭和10年には深谷城址へ遷座、昭和27年には当地へ遷座したといいます。当社の祇園祭は、元禄2年(1689)に深谷宿の協議により始められたもので、旧深谷宿七町会から山車・屋台が出される盛大な祭りです。

深谷八坂神社
深谷八坂神社の概要
社号 八坂神社
祭神 建速須佐之男命
相殿 -
境内社 -
祭日 祇園祭7月27-29日
住所 深谷市西島5-6-1
備考 -



深谷八坂神社の由緒

深谷八坂神社は、上杉房憲が築いた深谷城の本丸に庚正2年(1456)「三社天王」として祀られ、牛頭天王・弁財天・大黒天を祀っていたといいます。江戸期に深谷城が廃城となった後、深谷宿の総意により天和元年(1681)立町地先に遷座、深谷宿の住民の崇敬を受けていましたが、明治12年道路法施行のため立町伊勢殿神社の境内に遷座、昭和10年には深谷城址へ遷座、昭和27年には当地へ遷座したといいます。

新編武蔵風土記稿による深谷八坂神社の由緒

(深谷村)天王社
是も寶珠院持にて市町の鎮守とす。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による深谷八坂神社の由緒

八坂神社<深谷市西島五-六-一(深谷字西土手)>
現在は都心に勤める人々の住宅地として、また、商業の拠点として発展を続けている深谷の市街は、その地名が示すように、櫛挽台地の下の低地に位置している。当社の歴史は、この深谷の歴史と極めて密
接なかかわりがある。
社伝によれば、当社は、庚正二年(一四五六)に上杉房憲が築いた深谷城の本丸に、「三社天王」として祀られたことに始まるという。戦国時代の動乱を経、江戸時代になると深谷は中山道の宿場町として活況を呈し、定期市も立つようになった。そして、深谷城が寛永十一年(一六三四)に廃城となって半世紀近く経ったころ、深谷宿の住民はその総意により、この「三社天王」を、宿場の守り神として祀ることを決め、天和元年(一六八一)、聖地を卜し、立町地先(現在の相生町の中央部)の中山道路上に遷座した。
このようにして、当社は深谷宿の住民の厚い崇敬を受けるようになったが、明治十二年、道路法施行のために社は立町の伊勢殿神社の境内に、神輿は稲荷町の宝珠院にそれぞれ移されることになった。更に昭和十年には深谷の総鎮守で町民和衷協同の表徴として深谷城址(現深谷小学校校庭)に造営された新社殿に移され、宝珠院から神輿も戻された。しかし、昭和二十七年、校庭の拡張に伴い、当社は四度目の遷座を行い、瀧宮神社の境内に移り、現在に至っている。(「埼玉の神社」より)


深谷八坂神社の周辺図