高台院。深谷市田谷にある曹洞宗寺院

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深谷山高台院。上杉氏家臣高橋永明の創建

高台院の概要

曹洞宗寺院の高台院は、深谷山永明寺と号します。高台院の創建年代は不詳ですが、上杉氏家臣高橋永明の創建と伝えられます。深谷城三代目の城主上杉憲賢の菩提を弔うため、その妻高泰姫(法名高泰院殿梅室元法大姉、元亀4年1573年寂)が中興開基、臥龍伊天和尚(慶長6年1602年寂)が中興開山となり永禄4年(1561)再興したといいます。

高台院
高台院の概要
山号 深谷山
院号 高台院
寺号 永明寺
本尊 釈迦如来像
住所 深谷市田谷308
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



高台院の縁起

高台院の創建年代は不詳ですが、上杉氏家臣高橋永明の創建と伝えられます。深谷城三代目の城主上杉憲賢の菩提を弔うため、その妻高泰姫(法名高泰院殿梅室元法大姉、元亀4年1573年寂)が中興開基、臥龍伊天和尚(慶長6年1602年寂)が中興開山となり永禄4年(1561)再興したといいます。

新編武蔵風土記稿による高台院の縁起

(田谷村)高台院
禅宗曹洞派、人見村昌福寺末、深谷山永明寺と号す。当寺は上杉氏の家人、高橋永明と云もの草創し、今の寺号をもて称せしに、永禄二年ひとたび衰廃せり。其後上杉次郎憲賢の妻高泰姫再興せり。故に彼姫の法号を以て院号とし、則開基の檀越とす。法名高泰院殿梅室元法大姉と称し、元亀四年二月六日卒す。泰を台に改しは其故を詳にせず。開山臥龍伊天和尚慶長六年十一月二十三日寂す。本尊釈迦を安ず。
稲荷社。村の鎮守なり。天和年中境外にありしを爰に移せりと云。
天神社。白山社。疱瘡神社。閻魔堂。
高泰院墓。本堂の南にあり。五輪にて法名卒年を彫れり。
楼門。寛政五年再建の鐘をかく。(新編武蔵風土記稿より)

深谷市教育委員会掲示による高台院の縁起

高台院は、曹洞宗の寺で、深谷山高台院永明寺といい、本尊は釈迦三尊坐像です。
永禄四年(一五六一)深谷城三代目の城主上杉憲賢の菩提を弔うため、憲賢室の高泰院によって再興され、姫の名にちなんで高台院と称するようになったと伝えられています。(深谷市教育委員会掲示より)


高台院所蔵の文化財

  • 狐開帳図絵馬(深谷市指定文化財)
  • 高台院銅鐘(深谷市指定文化財)
  • 高麗螺鈿香台(深谷市指定文化財)
  • 上杉憲賢室高泰姫墓(深谷市指定文化財)
  • 北亭為直画朱描鎮西八郎為朝像(深谷市指定文化財)
  • 北亭為直墓(深谷市指定文化財)

上杉憲賢室高泰姫墓一基

上杉憲賢室の高泰姫は、元亀四年(一五七三)二月六日に亡くなっています。
高泰姫の墓は、本堂の左奥にある宝篋印塔で塔身と基礎の四面に月輪で囲んだ種子を配しています。
高泰姫の墓の右隣に、上杉憲賢の墓と伝えられる宝篋印塔一基が建てられています。(深谷市教育委員会掲示より)

高台院銅鐘一口

高さ九八センチ、口径五五センチの梵鐘です。寛政五年(一七九三)江戸時代中頃に当寺境内で鋳造されたと伝えられています。(深谷市教育委員会掲示より)

高台院の周辺図