駒崎久伊豆神社。蓮田市駒崎の神社
駒崎久伊豆神社の概要
駒崎久伊豆神社は、蓮田市駒崎にある神社です。駒崎久伊豆神社の創建年代などは不詳ながら、当社の別当を務めていた隣接の星久院が室町時代の創建であることから、駒崎久伊豆神社も室町期に創建したと推定されています。江戸期には駒ヶ崎村の鎮守社として祀られ、明治6年に村社に列格、明治40年には無格社八幡社を合祀しています。
社号 | 久伊豆神社 |
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祭神 | 大己貴命 |
相殿 | - |
境内社 | 八坂社 |
祭日 | 春祭礼四月第一日曜、夏祭礼7月、秋祭礼12月 |
住所 | 蓮田市駒崎271 |
備考 | - |
駒崎久伊豆神社の由緒
駒崎久伊豆神社の創建年代などは不詳ながら、当社の別当を務めていた隣接の星久院が室町時代の創建であることから、駒崎久伊豆神社も室町期に創建したと推定されています。江戸期には駒ヶ崎村の鎮守社として祀られ、明治6年に村社に列格、明治40年には無格社八幡社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による駒崎久伊豆神社の由緒
(駒ヶ崎村)
久伊豆社
村の鎮守なり、社内に元禄四年再造の棟札をかく、星久院持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による駒崎久伊豆神社の由緒
久伊豆神社<蓮田市駒崎二七一(駒崎字中郷)>
鎮座地の駒崎は、古くは「駒前」とも書き、正和四年(一三一五)の「伊賀頼泰譲状写」にその名が見えるように、古くから続く村である。当社の創建の時期は定かではないが、江戸時代に別当であった真言宗星久院の開山の祐長が文安三年(一四四六)寂であることから、当社の創建も室町期には行われていたことが推測される。
『風土記稿』駒ケ崎村の項に、当社は「久伊豆社 村の鎮守なり、社内に元禄四年(一六九一)の棟札をかく、星久院持」と記されている。この記事に記されている棟札は、現存こそしていないが、本殿には「奉僧永海」「(梵字)元禄十四年(一七〇一)十一月吉日」と刻まれた金幣が納められているので、この時期に社殿の再建がなされたことがうかがわれる。また、昭和五十五年に総代の箕田賢一がまとめた『久伊豆神社之記』によれば、昭和五十五年二月に本殿東側の大杉を伐採したところ、その年輪が二百九十余年であったことから、この杉は元禄の再建の際に植樹されたものではないかという。
その後、弘化三年(一八四六)八月には、神祇管領の吉田家から正一位の神位に叙せられた。本殿には、この時に拝受した宗源宣旨・宗源祝詞・幣帛が奉安されている。また、極位を受けたのを契機に本殿の修復と覆屋の新設が行われたと伝えられる。
明治六年に村社となり、同四十年には無格社八幡社を合祀した。(「埼玉の神社」より)
埼玉県・蓮田市掲示による駒崎久伊豆神社の由緒
「駒崎の久伊豆神社」
蓮田市には七つの久伊豆神社があり、すべて元荒川流域のみに分布しています。これは舟での運搬が深く関係しており、川の流れに沿って土地が開発されていったからではないかと思われます。
したがって、「久伊豆」の神は、豊作の神、水の神としての性格を持ち、稲作の信仰として祭られたと考えられ、当時の村の鎮守様であるなど、それぞれ個性的な歴史を持っています。
この「駒崎の久伊豆神社」は、室町期に創建されたと推測されており、現在氏子数八十有余名で構成され、元旦の四方拝の祭典で始まり、四月第一日曜に春祭礼、七月十四日に近い日曜に夏祭礼があり四月と七月の祭には獅子頭をかついで氏子各戸を回り五穀豊穣・病魔退散を祈ります。十二月十五日に近い日曜には秋祭りがあり、婦人会中心の踊りを奉納します。各行事とも総代三名、年番八名を中心に執行しております。また境内の清掃は老人会が行うなど村の鎮守様として信仰を集めている。(はすだ観光協会掲示より)
駒崎久伊豆神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)