高虫氷川神社。蓮田市高虫の神社
高虫氷川神社の概要
高虫氷川神社は、蓮田市高虫にある神社です。高虫氷川神社は、元禄2年に高虫小名向山に創建、享保5年(1720)当地へ移転したといいます。明治5年村社に列格しています。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | 天朝神社、三峰神社、雷電社、琴平神社 |
祭日 | 禦4月1日、春祭4月、灯籠9月、お日待10月 |
住所 | 蓮田市高虫1702 |
備考 | - |
高虫氷川神社の由緒
高虫氷川神社は、元禄2年に高虫小名向山に創建、享保5年(1720)当地へ移転したといいます。明治5年村社に列格しています。
新編武蔵風土記稿による高虫氷川神社の由緒
(高虫村)
氷川社
村の鎮守なり、元禄年中の勧請と云、村持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による高虫氷川神社の由緒
氷川神社<蓮田市高虫一七〇二(高虫字前野)>
高虫は、蓮田台地の北西端に位置する農業地域で、その地名については、地内に丈の高い苧が繁茂していたことにちなむものという説がある。当社は、この高虫の鎮守として祀られてきた社で、昭和十九年十二月に、社号を「氷川社」から「氷川神社」に改めた際にまとめられた『氷川神社明細帳』には、当社の詳しい由緒が記されている。その概略は、次の通りである。
当社は、天和九年(一六八九か)六月、地内の向山と称する高台の地に武蔵国一宮氷川大明神を勧請したことに始まる。その後、享保四年(一七一九)には米津出羽守から社地七反歩を賜り、その翌年には現在の原地と称する場所に移転したという。弘化二年(一八四五)には屋根を大修繕し、天保年間(一八三〇-四四)には幣殿・拝殿、慶応元年(一八六五)には本殿再建に取りかかり、翌年には竣工成って遷座を行い、明治五年には村社に列した。
右の由緒では、当社の勧請を「天和九年」としているが、天和は実際には三年までしかなく、『風土記稿』高虫村の項には、「氷川社 村の鎮守なり、元禄年中(一六八八-一七〇四)の勧請と云、村持」とあることから、当社の勧請は、元禄二年(一六八九)のことと思われる。なお、当社の本殿は、一間社流造りの建物全体に彫刻を施した立派なものであり、昭和四十八年に市の文化財として指定された。(「埼玉の神社」より)
高虫氷川神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)