赤沼氷川神社。比企郡鳩山町赤沼の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

赤沼氷川神社。上杉安房守憲方が至徳元年に創建

赤沼氷川神社の概要

赤沼氷川神社は、比企郡鳩山町赤沼にある神社です。赤沼氷川神社は、(明治時代以降に作成された)社号額裏面の記載内容によると、上杉安房守憲方が至徳元年(1384)に創建したといいます。江戸期を通して赤沼の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し村社に列格、明治時代後期の神社整理令により字峰の無格社愛宕神社、字鬼山の無格社雷電神社、同境内社菅原・稲荷・三浦の三社合殿を合祀しています。1月の鎮火祭は、合祀した愛宕社の祭りです。

赤沼氷川神社
赤沼氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 建速須佐之男命、迦具土之神、大雷神
相殿 -
境内社 菅原神社・稲荷神社・三浦神社など石祠5基
祭日 鎮火祭1月24日、御祭り7月10日、秋大祭10月17日
住所 比企郡鳩山町赤沼894
備考 -



赤沼氷川神社の由緒

赤沼氷川神社は、(明治時代以降に作成された)社号額裏面の記載内容によると、上杉安房守憲方が至徳元年(1384)に創建したといいます。江戸期を通して赤沼の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し村社に列格、明治時代後期の神社整理令により字峰の無格社愛宕神社、字鬼山の無格社雷電神社、同境内社菅原・稲荷・三浦の三社合殿を合祀しています。

境内掲示による赤沼氷川神社の由緒

至徳元年甲子(一三八三)甲子八月十八日関東管領上杉安房守憲方創建して村内八十余戸の鎮守社と称す。
貞享元年(一六八四)幕府より除地明神免として畑二反一畝二十五歩(二一六一、五平方メートル)を寄附せられる。
明治四年(一八七一)奉還する。
明治四十一年(一九〇八)五月九日字内峰愛宕神社を、同兎山大神神社を合祀する。
火防の神として崇敬篤し。(境内掲示「比企郡神社誌」より)

新編武蔵風土記稿による赤沼氷川神社の由緒

(赤沼村)
氷川社
村内の鎮守なり、實蔵院持、
---
雷電社
密蔵院持、
---
八幡社
朝日八幡と號す、村民持、
---
愛宕社
實蔵院持、
---
稲荷社
櫻木稲荷と云、村民持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による赤沼氷川神社の由緒

氷川神社<鳩山町赤沼八九四(赤沼字宮山台)>
赤沼の地内には、古墳後期の遺跡である十郎横穴群、奈良・平安時代の窯跡など遺跡が多く、その中の一つである字水沼前にある赤沼国分寺窯跡は県指定史跡になっている。また、地内にある円正寺は康暦元年(一三七九)に上杉安房守憲方が建立したものである。こうした遺跡や古刹の存在は、赤沼の地が古くから開かれていたことを示すものということができよう。
当社の創建について、はっきりした伝承はないが、古い社号額の裏面に「上杉安房守憲方 至徳元年甲子(一三八四)八月十八日」とあることから、これが創建年を指すものと考えられており、『比企郡神社誌』に「至徳元年創建」とあるのも、この年紀を根拠にしたものであろう。また『明細帳』は、由緒として「慶長十七年(一六一二)九月十八日建立ス」と記しているが、この出典は不明である。『風土記稿』によれば当社は真言宗の密蔵院<註:實蔵院の誤り>持ちとなっている。しかし、密蔵院は神仏分離によって廃寺となったため、詳しいことは伝わっていない。氷川山という山号から考えても、同院は当社の近くにあったものと思われる。
なお、当社の一間社流造り柿葺きの本殿には、四周や木鼻、蟇股など要所要所に中国の伝説や竜・獅子などの彫刻が施されており、生き生きとしたその作風には目を見張るものがある。(「埼玉の神社」より)


赤沼氷川神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)