今宿八坂神社。鳩山町指定無形文化財の祭囃子
今宿八坂神社の概要
今宿八坂神社は、比企郡鳩山町今宿にある神社です。今宿八坂神社は、越辺川の河岸場として賑わった当地で、度々悪病が流行したことから、病魔退散を願って寛文12年(1663)に京都八坂神社を勧請したといいます。江戸期には熊野社が今宿の鎮守として祀られていましたが、明治維新後の社格制定に際し当社が村社に列格、明治42年天神社と住吉社を合祀しています。当社夏例祭で奉納される八坂神社祭囃子は、鳩山町無形文化財に指定されています。
社号 | 八坂神社 |
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祭神 | 健御賀津智命 |
相殿 | - |
境内社 | 諏訪社、稲荷社 |
祭日 | 夏季例祭7月24・25日に近い日曜日、秋季例祭10月17日に近い日曜日 |
住所 | 比企郡鳩山町今宿503-2 |
備考 | - |
今宿八坂神社の由緒
今宿八坂神社は、越辺川の河岸場として賑わった当地で、度々悪病が流行したことから、病魔退散を願って寛文12年(1663)に京都八坂神社を勧請したといいます。江戸期には熊野社が今宿の鎮守として祀られていましたが、明治維新後の社格制定に際し当社が村社に列格、明治42年天神社と住吉社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による今宿八坂神社の由緒
(今宿村)
熊野社
村の鎮守なり
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天神社
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天王社
以上三社村民持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による今宿八坂神社の由緒
八坂神社<鳩山町今宿二三六(今宿字宿)>
当地は越辺川沿いに位置し、対岸の入間郡苦林村に対して今宿と称するようになったという。中世には鎌倉街道の宿場で交通の要衝であった。
『風土記稿』は、当地の様子について「民家四十、連住して宿駅に似たれど、馬次の所にもあらず、少の河岸場ありて、近郷の材木薪等を爰にて筏とし、江戸へ出せるをもて土地賑へり」と述べており、江戸期に入って越辺川の河岸場としてにぎわったことがうかがえる。
社伝によると、当社は寛文一二年(一六六三)に京都の八坂神社から勧請したという。古くから諸人の出入が多く、度々悪病が流行したことから、その退散を祈って奉斎したものである。
『風土記稿』は、地内の神社について「熊野社 村の鎮守なり、天神社、天王社、以上は村民持」と記しており、熊野社が鎮守であったことがわかる。しかし、明治初年の社格制定では熊野社に代わって当社が村社に列した。この鎮守の交替は、当社が疫病退散という熊野社よりもより切実な信仰から祀られていたことがその要因であろう。
明治四十二年に字安養寺の天神社と住吉社を合祀した。更に、昭和十三年にはやや北方の現在地に遷座した。(「埼玉の神社」より)
今宿八坂神社の由緒
- 八坂神社祭囃子(鳩山町指定無形文化財)
八坂神社祭囃子
この祭囃子は、寛文三年(一六六三年)京都の八坂神社を勧請して、悪病の退散を祈り祭祀したのが、その始まりとされる。以来、毎年七月の例大祭には、神輿、山車、獅子の渡御があり、悪病除として近在からの参詣者も多い。囃子は京都の祇園囃子風の神田大橋流の旧囃子で、曲目は、「祇園ばやし」「屋台」「にんぱ」「鎌倉」「数え唄」「子守唄」などがある。現在保存会を結成し後継者の育成を行っている。(鳩山町教区委員会掲示より)
今宿八坂神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)