泉井神社。比企郡鳩山町泉井の神社

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泉井神社。旧諏訪八幡合社、泉井神社獅子舞

泉井神社の概要

泉井神社は、比企郡鳩山町泉井にある神社です。泉井神社の創建については詳細不明ながら、治承年間(1177-1181)に比企掃部允が創建したと伝えられ、昭和27年ごろまでは泉泉井神社は、天徳2年(958)に諏訪大社を字蛇子沢の地に勧請したと伝えられ、長禄元年(1457)に神幣が飛来してきたことから当地へ遷座したといいます。元禄10年(1697)字北ヶ谷の八幡神社を合祀、相殿として諏訪八幡合社と称し、村の鎮守として祀られていました。明治維新後の社格制定に際し無格社とされたものの、明治40年字桜坂の村社黒石神社、字愛宕の愛宕社・稲荷社を合祀し、村社となり、地名より泉井神社と改称しています。当社例大祭に奉納される泉井神社獅子舞は、鳩山町無形文化財に指定されています。

泉井神社
泉井神社の概要
社号 泉井神社
祭神 健御名方命
相殿 -
境内社 御嶽社、稲荷神社、琴平神社
祭日 例祭10月第2日曜日
住所 比企郡鳩山町泉井320
備考 -



泉井神社の由緒

泉井神社は、天徳2年(958)に諏訪大社を字蛇子沢の地に勧請したと伝えられ、長禄元年(1457)に神幣が飛来してきたことから当地へ遷座したといいます。元禄10年(1697)字北ヶ谷の八幡神社を合祀、相殿として諏訪八幡合社と称し、村の鎮守として祀られていました。明治維新後の社格制定に際し無格社とされたものの、明治40年字桜坂の村社黒石神社、字愛宕の愛宕社・稲荷社を合祀し、村社となり、地名より泉井神社と改称しています。

新編武蔵風土記稿による泉井神社の由緒

(上泉井村)
諏訪八幡合社
村の鎮守なり、寶泉寺持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による泉井神社の由緒

泉井神社<鳩山町泉井三二〇(泉井字正南)>
当社は元来「諏訪大明神」と称していた。『明細帳』によれば、天徳二年(九五八)に健御名方命を字蛇子沢の地に勧請したが、長禄元年(一四五七)七月に至り、神幣が字正南の地に飛んで来たことから、これを神のお告げであるとして遷座を行った。これが現在の鎮座地である。その後、元禄十年(一六九七)に字北ヶ谷に勧請した八幡神社を合祀して相殿としたことから宝暦八年(一七五八)一二月に社殿を再建したという。
『風土記稿』には「諏訪八幡合社 村の鎮守なり、宝泉寺持」とある。これに見える宝泉寺は宝珠山と号する真言宗の寺院で、当社西方五〇〇Mほどの地にあったが、明治期に入って廃寺になったようで、跡地には地蔵尊が残されている。
明治初年の社格制定に際して当社は無格社となり、字桜坂の黒石社の方が村社となった。しかし、明治四十年の合祀に際しては当社がその中心となり、黒石社をはじめとして字愛宕の無格社愛宕社・稲荷社の三社が当社に合祀された。これにより社号の八幡神社・諏訪神社合殿を村名を採って泉井神社と改めた。(「埼玉の神社」より)


泉井神社所蔵の文化財

  • 泉井神社獅子舞(鳩山町指定無形文化財)

泉井神社獅子舞

長禄元年(一四五七)七月、諏訪大明神を勧請して祭祀し、悪魔退散、無病息災、五穀豊穣を祈願したのが、この獅子舞のはじまりである(明治四十年、近隣三社を合祀し、社号を諏訪八幡神社から泉井神社に改めた)。
獅子舞は、三頭の嗣子、猿田彦、花笠、行司、万燈、笛、唄とからなるササラ獅子舞で、毎年十月の第二日曜日に奉納される。
現在、氏子全員により獅子舞保存会を結成し、保存に努めている。(鳩山町教育委員会掲示より)

泉井神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)