大橋黒石神社。比企郡鳩山町大橋の神社
大橋黒石神社の概要
大橋黒石神社は、比企郡鳩山町大橋にある神社です。大橋黒石神社の創建年代等は不詳ながら、大宮氷川神社を遷し奉斎したと伝えられます。その後泉井村本明院の法印が黒石大明神の託宣を受け、安永9年(1790)社宝を三方の地に埋めて鎮座地を定めたといいます。明治維新後の社格制定に際し明治4年村社に列格、明治40年宇山下の琴平社を合祀しています。
社号 | 黒石神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | 大己貴命、崇徳院 |
境内社 | 合殿(疱瘡・保食・稲荷・倉稲魂・蚕影・火産霊)、猿田彦大神 |
祭日 | 春祭り3月10日、例祭4月3日、秋祭り10月17日 |
住所 | 比企郡鳩山町大橋619 |
備考 | - |
大橋黒石神社の由緒
大橋黒石神社の創建年代等は不詳ながら、大宮氷川神社を遷し奉斎したと伝えられます。その後泉井村本明院の法印が黒石大明神の託宣を受け、安永9年(1790)社宝を三方の地に埋めて鎮座地を定めたといいます。明治維新後の社格制定に際し明治4年村社に列格、明治40年宇山下の琴平社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による大橋黒石神社の由緒
(大橋村)
黒石明神社
村の鎮守なり、祭神詳ならず、村民持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による大橋黒石神社の由緒
黒石神社<鳩山町大橋六一九(大橋字宮之沢)>
当社は『明細帳』に「武蔵国足立郡大宮氷川神社ヲ遷シ奉リタルナリト云伝フ其勧請不詳」とあり、創建の背景に氷川信仰があったことをうかがわせる。
最も古い史料に安永九年(一七八〇)の棟札がある。これには中央に「黒石大明神社」、左右に「春日大明神社」「八幡大菩薩」と記されているほか、「泉井村別当本明院」の名が見える。口碑によれば、安永のころ、別当本明院の法印が黒石大明神の託宣を受け、社宝であった鏡・刀・矢を乾(北西)・坤(西南)・巽(南西)の三方の地に埋めて当社の鎮座地を定めた。鏡が天照大神を、万と矢がそれぞれ春日大明神・八幡大菩薩を表すという。室町末期から江戸期にかけて広く庶民に流布した神祇管領長上吉田家の三社託宣の影響が考えられる。
明治四年に村社となり、同四十年には宇山下の琴平社を合祀した。
境内の末社は愛宕社・稲荷社・蚕影社の三社がある。『明細帳』によれば、愛宕社は享保九年(一七二四)に江戸の愛宕を勧請したという。また、稲荷社は本村の福島関右衛門なる者が西国を回って京都の稲荷神社の神体を請いて帰国した後、天明四年(一七八四)に至り社殿を建立したという。更に、蚕影社は明治十五年に当村の桑葉が雹により甚大な被害を被ったため、村内の蚕を埋めて跡地に常陸国(現茨城県)の蚕影山を勧請したと伝える。(「埼玉の神社」より)
大橋黒石神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)