金澤寺。入比板東三十三所観音霊場
金澤寺の概要
曹洞宗寺院の金澤寺は、泉井山と号します。金澤寺は、建保6年(1218)に僧正達禅師が創建、永禄12年(1570)梅叟和尚が中興したといいます。慶安2年(1649)には江戸幕府より観音堂領として8石5斗の御朱印状を受領していました。当寺の十三仏板碑は南北朝時代末期の嘉慶2年(1388)に造立されたもので、鳩山町有形文化財に指定されています。入比板東三十三所観音霊場18番です。
山号 | 泉井山 |
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院号 | - |
寺号 | 金澤寺 |
本尊 | 聖觀音像 |
住所 | 比企郡鳩山町泉井1376 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
金澤寺の縁起
金澤寺は、建保6年(1218)に僧正達禅師が創建、永禄12年(1570)梅叟和尚が中興したといいます。慶安2年(1649)には江戸幕府より観音堂領として8石5斗の御朱印状を受領していました。
「近世鳩山図誌」による金澤寺の縁起
下泉井村の金沢寺
村の東外れの丘陵斜面中腹を切り開いて開山。禅宗曹洞派。『新記』では「開山梅里高和尚は天正一八年(一五九〇)九月二十九日寂す」とあるが、「古社寺取調書控」(明治二八年)では、「建保六戌寅年(一二一八)七月僧正達禅師開基創建」とし、前掲梅曳高和尚永禄十二年(一五七〇)中興とする。本尊は聖観音。明治十九年諸堂宇焼失とあるが、この中には、観音堂領として御朱印地八石五斗が給付されていることから観音堂があったことが分る。後掲三十三所札所では十八番寺である。(「近世鳩山図誌」より)
新編武蔵風土記稿による金澤寺の縁起
(下泉井村)
金澤寺
小名金澤にあり、禅宗曹洞派、入間郡龍ヶ谷村龍穏寺の末、泉井山と號す、開山梅叟和尚は、天正十八年九月二十九日寂す、本尊聖觀音を安ず、慶安二年觀音堂領として、八石五斗の御朱印を賜はれり(新編武蔵風土記稿より)
金澤寺所蔵の文化財
- 金沢寺の十三仏板碑(鳩山町指定有形文化財)
金沢寺の十三仏板碑
金沢寺の十三仏板碑
板碑とは、板石塔婆、青石塔婆、平仏などと呼ばれる供養塔です。鎌倉時代後期から南北朝中頃に最も多く造立され、以降、減少の一途をたどり江戸時代初期には造立されなくなります。
金沢寺の十三仏板碑は、現存長七五cm、幅四〇cmで、蓮座から上部、基部が欠損しています。碑面に刻まれた「嘉慶二年」の紀年号から、一三八八年(南北朝時代末期)に造立された最も古い十三仏板碑であると言われ、さらに、種子の配列が一般的でないとも言われており、十三仏板碑を研究する上で、大変、貴重な資料です。
尚、碑面に刻まれている銘文は次のとおりです。
為市結逆修 戊
嘉慶二年 辰
八月時正日(鳩山町教育委員会掲示より)
金澤寺の周辺図
参考資料
- 「近世鳩山図誌」
- 新編武蔵風土記稿