新堀熊野神社。紀州熊野から移住した新堀家の氏神として創建
新堀熊野神社の概要
新堀熊野神社は、日高市新堀にある神社です。新堀熊野神社の創建年代等は不詳ながら、紀州熊野から移住した新堀家の総本家の氏神として創建したといい、江戸期には熊野三社権現社と称していました。
社号 | 熊野神社 |
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祭神 | 伊耶那美命・速玉男命・事解男命 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷社、愛宕社 |
祭日 | - |
住所 | 日高市新堀387 |
備考 | - |
新堀熊野神社の由緒
新堀熊野神社の創建年代等は不詳ながら、紀州熊野から移住した新堀家の総本家の氏神として創建したといい、江戸期には熊野三社権現社と称していました。
新編武蔵風土記稿による新堀熊野神社の由緒
(新堀村)
熊野三社権現社。
観音寺持、下同じ(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による新堀熊野神社の由緒
熊野神社<日高町新堀三七八(新堀字宮ノ前)>
往古、紀州の熊野からこの地へ来て村を開いたと伝えられる新堀某にちなんでその名がつけられた新堀は、高麗川に沿う農業地帯の一角を占めている。当社は、新堀の中でも最も早く開かれたとされる本新堀のほぼ中央に、高麗川を背にして鎮座している。祭神は伊耶那美命・速玉男命・事解男命の熊野三神、本殿は三間社流造りである。
本新堀には新堀を姓とする家が多いが、中でも「オキノイエ」の屋号を持つ新堀家は、村を開いた新堀某の直系の子孫で、この近辺の新堀姓の家の総本家といわれ、当社はこの「オキノイエ」の氏神として創建された社であると口碑にある。ちなみに、同家の現在の当主は一七代目の米次郎である。
「オキノイエ」は、度々火災に遭っているため、当社の創建に関する資料は残っていないが、同家の当主が代々当社の総代を務めていることや、同家の墓地が当社境内に隣接していることなどを見ても、同家と当社の関係の深さは容易に推察されよう。
『風土記稿』には、当社は観音寺持ちの「熊野三神権現社」の名で記載されている。別当の観音寺は真言宗の寺院であったが、神仏分離によって廃寺となった。その後、いつのころからか旧観音寺の堂宇は薬師堂と称されるようになり、様々な会合の場として利用され、現在に至っている。(「埼玉の神社」より)
新堀熊野神社の周辺図