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水天の碑|日高市の名所旧跡

水天の碑の概要

水天の碑は、日高市にある名所旧跡です。水天の碑は、旱魃の被害を受けやすかった台村の地で、天明の飢饉(1781-1789・浅間山の噴火)に続いて天保の飢饉(1830-1844)に見舞われ、台村の人々が天災や水難事故を鎮めるために建立したといいます。

水天の碑
水天の碑の概要
名称 水天の碑
みどころ 史跡
入場時間 -
入場料 -
住所 日高市台134
備考 -




水天の碑の由緒

水天の碑は、旱魃の被害を受けやすかった台村の地で、天明の飢饉(1781-1789・浅間山の噴火)に続いて天保の飢饉(1830-1844)に見舞われ、台村の人々が天災や水難事故を鎮めるために建立したといいます。

境内掲示による水天の碑について

水天の碑
水天の碑は、天保年代(一八三〇~一八四四)に繰り返された干魃、大洪水などの天災や水難事故を鎮めるために、台村の人々が建立したものである。この碑は、高麗川を利用した西川材運送のための筏流しとも深い関連がある。筏流しは江戸時代初期から始ったと伝えられている。天明年代(一七八一~一七八九)には、更に災いが度重なり、記録によると、この地方を飢饉が襲うなど、災難が続いて起ったので、この「水天の碑」の建立の際には、五日五夜の大念仏の行事が催されたと伝えられている。このようにして建てられた水天の碑も、明治になって、車馬の発達と共に筏流しが衰退したこともあって、今では忘れられた存在となっている。(日高市掲示より)

新編武蔵風土記稿による水天の碑について

(臺村)
・・・東西六町、南北十三町、地形頗る高して平坦、南の方に小山あり、民戸五十六、所々に散在す、土性は山鳥眞土黒野土等なり、水田少く陸田多し、村の南の山間より湧出する小流を水田に沃げり、仍て旱損ありと云、・・・(新編武蔵風土記稿より)


水天の碑の周辺図