巾着田|曼殊沙華の名所
巾着田の概要
巾着田は、日高市にある名所旧跡です。巾着田は、高麗川が大きく蛇行して袋状に形成された土地で営まれた田園地帯で、上流からの土砂が堆積して自然堤防を形成、面積は22haに及ぶといいます。上空から見ると巾着袋のようにみえることから巾着田と呼ばれ、曼殊沙華の名所として著名です。
名称 | 巾着田 |
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みどころ | 名所 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 日高市高麗本郷 |
備考 | - |
巾着田の由緒
巾着田は、高麗川が大きく蛇行して袋状に形成された土地で営まれた田園地帯で、上流からの土砂が堆積して自然堤防を形成、面積は22haに及ぶといいます。上空から見ると巾着袋のようにみえることから巾着田と呼ばれ、曼殊沙華の名所として著名です。
境内掲示による巾着田について
巾着田
刈場坂峠付近に源を発する高麗川の流れは複雑な起伏の山峡を東流し、関東平野に出たところで、南東から北東にその流れの方向を変えます。
この大きく蛇行した姿は、あたかも円を描いたような流れとなって、他で見ることができない珍しい地形を形成しました。
水の流れは、永い歳月をかけ外縁の土地を侵食して急崖をつくり、内側には川原が形成され、その内側は自然堤防となり、自然林の木立が生育しています。
更にこの内側には上流部から運ばれてきた土砂が堆積し、この土地を利用して古くから水田耕作が営まれていました。
地元の人は、ここを川原田と呼んでおり、この他に、市原田、内野、新田、八ヶ下が字として存在し、面積は約22haに及びます。
また、慶長2年(1597年)高麗本郷全域にわたり、検地がおこなわれたことが検地帳に記されており、中世末期には巾着田が耕地化されていたものと推定されます。
上空から見ると、この姿が巾着袋のように見えるので、俗称として「巾着田」と呼ばれるようになりました。日和田山から眺めると、その姿を確認することができます。(日高市・日高市観光協会掲示より)
巾着田の周辺図