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北堀飯玉神社。本庄市北堀の神社

北堀飯玉神社の概要

北堀飯玉神社は、本庄市北堀にある神社です。北堀飯玉神社の創建年代等は不詳ながら、一ノ谷の合戦でも活躍した児玉党の久下塚庄二郎弘定が崇敬したと伝えられ、当地一帯久下塚が村として独立していた頃は鎮守社として祀られていたともいいます。昭和13年に村社に列格しています。

北堀飯玉神社
北堀飯玉神社の概要
社号 飯玉神社
祭神 倉稲魂命
相殿 -
境内社 稲荷社、八坂社、大黒天
祭日 元旦祭、祈願祭、春季例祭4月、祇園祭、秋季祭祭10月、新嘗祭
住所 本庄市北堀289
備考 -



北堀飯玉神社の由緒

北堀飯玉神社の創建年代等は不詳ながら、一ノ谷の合戦でも活躍した児玉党の久下塚庄二郎弘定が崇敬したと伝えられ、当地一帯久下塚が村として独立していた頃は鎮守社として祀られていたともいいます。昭和13年に村社に列格しています。

新編武蔵風土記稿による北堀飯玉神社の由緒

(北堀村)
飯玉明神社
日光院の持。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による北堀飯玉神社の由緒

飯玉神社<本庄市北堀一六〇二(北堀字久下塚)>
鎮座地の久下塚は、武蔵七党児玉党の久下塚氏の名字の地と考えられており、元来は独立した村であったが、中世の末期に北堀に繰り入れられるようになったようである。また、地名の「久下」は古代の役所である「郡家」が転じたものであるとの説もあるが、これを裏付ける遺跡は現在のところ発見されていない。
当社は、久下塚の鎮守として祀られてきた神社で、『児玉郡誌』よれば、創立の年代は不詳であるが、児玉党の支族である久下塚庄二郎弘定が崇敬した最も古い社であるという。この久下塚圧二郎弘定とは、「児玉党系図」(諸家系図纂) によれば、一ノ谷の合戦で源氏方に属して戦功があったと伝えられる家長の弟で、その息子の親弘は久下塚本太郎と称している。
残念ながら久下塚氏の信仰を伝える資料は現存していないが、境内には目通り周囲一に・七メートルほどの欅の古木があり、神木とされてきていることから、古社であることがうかがえる。
『風土記稿』北堀村の項に「飯玉明神社日光院の持」と記されているように、江戸時代には地内にあった当山派修験の日光院が別当であった。この日光院は、一説には京都から小幡中納言某という公卿がこの地に流されて来た際に開いた寺であるといわれ、久下塚と呼ばれる円墳の麓にあったが、神仏分離によって廃寺となった。農林水産省浦和食糧事務所本庄支所の傍らに建つ不動堂は、その名残である。(「埼玉の神社」より)


北堀飯玉神社の周辺図