西藏院。伊奈町羽貫にある真言宗智山派寺院
西藏院の概要
真言宗智山派寺院の西藏院は、蓮浄山来迎寺と号します。西藏院の縁起については不詳ながら、僧寶鑁(慶長3年1598年寂)が中興開山したといいます。
山号 | 蓮浄山 |
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院号 | 西藏院 |
寺号 | 来迎寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 伊奈町羽貫1072 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
西藏院の縁起
西藏院の縁起については不詳ながら、僧寶鑁(慶長3年1598年寂)が中興開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による西藏院の縁起
(羽貫村)
西藏院
新義眞言宗、倉田村明星院末、蓮浄山来迎寺と號す、中興開山寶鑁慶長三年六月十一日寂す、本尊は彌陀にて、この像の腹籠にも同じ像あり、
稲荷社、釋迦堂、(新編武蔵風土記稿より)
「伊奈町史」による西藏院の縁起
西蔵院は、蓮浄山西蔵院来迎寺と号する新義真言宗智山派の寺で、本尊は阿弥陀如来である。桶川市倉田の明星院の末寺であり、以前は無住で、明星院住職が兼務していた。このため、施餓鬼などのときには、住職が挟み箱持ちといっしょにやって来たものである。その当時は、留守居のおばあさんがいた。この留守居のおばあさんは、檀家の命日に、ジザイといって拝みに来たものである。ジザイで来ると、各家では夕飯を御馳走した。
『風土記稿』によると、本尊には「腹龍にも同じ像あり」と記され、胎内仏のある本尊としている。このほか、中興開山の実鑁は、慶応三年(一八六七)六月一一日に寂せりとしている。
西蔵院は、羽貫に古くから住む家が総て檀家になっている寺である。なお、施餓鬼は八月二六日に行っていたが、近年は八月一六日に変更になっている。(「伊奈町史」より)
西藏院の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「伊奈町史」(伊奈町教育委員会)